« 2002年9月 | トップページ | 2003年8月 »

味探検:世田谷区祖師谷「鈴木」絶品コロッケとメンチの巻

松坂牛1頭買い店だからこその絶品コロッケとメンチ

世田谷区「祖師谷 鈴木」

20030529setagayasuzuki01 「南二子道、北高井戸道、西府中、底の抜けた駕籠が通りそうな四つ角」。
現代歌曲に多くの詩を提供した深尾須摩子歌曲集「祖師谷より」(山田一雄曲)の「道しるべ」に歌われた江戸期造立の石標が、商店街を抜けた塚戸四つ角に立つ。
 中世以来、人々が行き交った祖師谷通りの歴史が現代のにぎわいへと移行するきっかけは、昭和34年祖師谷住宅の完成あたりからという。当時最新の集合住宅としてセタガヤカルチャーが形成されていく時代を担った。
「団地併設店として抽選に当たり営業を始めた」という松坂牛指定販売店「祖師谷 鈴木」御主人の小谷野安男さん(写真上)。松坂牛を扱わせたら都内でもこの人ありと知られる御主人は、定休日を芝浦市場に松坂牛を1頭買いで競り落としに出かける日に当てている。
 小谷野さんえり抜きの松坂牛切り落としのひき肉を使った、なんともぜいたくなコロッケ(80円)とメンチ(130円)。
「熱々のうちにジャガイモと合わせ成形し、粗熱を取り冷蔵庫で水分を飛ばしたあと揚げればホクホクコロッケができる」
と奥さんの澄子さん。塩と胡椒だけの味付けと新しい油で揚げる。原料肉に限りがあり、コロッケ1000個、メンチ300個の販売が限界のため、昼頃にはメンチ、3時頃にはコロッケが完売する。
足と暇をかけてでも晩ご飯のおかずにしたい、そんな味なのだ。松坂牛「マツコマ」(100g650円)もおすすめだ。(中島満)

メモ「祖師谷 鈴木」
東京都世田谷区祖師谷2ノ4ノ7。小田急線祖師谷大蔵駅下車右手商店街方向徒歩7分。交番のある公社・祖師谷住宅手前の道右折すぐ右手。定休月曜(他不定月2回火曜休)。営業午前7時~午後7時、揚げ物10時半~。電話03・3484・4129。

注:内容は取材時のものです。現時点で価格等変更がある場合があることをご了承下さい。取材掲載:東京新聞2003年5月29日連載324回(街道209回)。写真記事:copyright 2003-2009,Mitsuru,Nakajima:リンクは自由ですが、記事写真引用についてはMANAまで了承の確認を取ってください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

深尾須磨子と祖師谷通りのはずれに立つ庚申塔(その2)

道しるべ

MANAよりS・Iさんへ(5月25日付け)

ファックスありがとうございました。
明日昼締めきりの原稿に使わせてもらいます。

今日、祖師ケ谷大蔵に出かけてきました。味探検の味の取材(祖師谷鈴木=メンチカツとコロッケ)のあと、祖師谷通りの塚戸十字路の千歳台2丁目46の角地に立てられた石標について地元の神社総代のかたから由来などを聞いてきました。

結論からすると、詩に出てくる「道しるべ」は、「塚戸十字路」角にある石標であることがほぼ間違いないことがわかりました。南二子道、北高井戸道、西府中の位置関係にある道筋と道の呼び名は、祖師谷地区以外では該当しないようです。またそのような呼び名がある石標は、もし甲州街道沿いにあったとすると高井戸道の位置関係がおかしくなりますし、祖師谷というタイトル詩であることや、祖師谷地区、上祖師谷地区内に、この石標に刻まれた文字は地元のかたもここだけだということです。

それと、ファックスで「祖師谷より」の制作が第2次大戦の終わった年に書かれた(畑中)とあります。じつは、ぼくが、2日まえ石標の文字を書き写したときには、

「南 二子道
北 高井戸道
西 府中」

のうち「西府中」の文字が摩滅して読めなかったのですが、今日、再確認して見たら、うっすらと「西」の刻跡と、「中」の刻跡が確認できて、地元の石標をしる古老も、確かに詩のとおりに刻まれているとのことです。

この石標は、昭和30年ごろまでは、現在ある西向いの祖師谷19番地かどの矢島という家の道の力ドに立てられていたのが、その後、家の増築等のために撤去されて、近くの神社に移されていたものが平成になってから再度現地に立てかえられたものだそうです。「西」の文字が、この移動の際に、たぶん摩滅したものとおもわれると、古老の言で確認しましたから、深尾須摩子が、祖師谷に住んで、詩を書いた時点(昭和19年~20年)では、「西府中」の文字も鮮明に読み取れたものと思います。

この塚戸の地名は、「塚土」が昔の名前で、鎌倉時代、鎌倉街道をとおり、出兵をして戦争に参加し死亡した遺体や遺品、馬などを埋めた「塚」が元になっているということで、それを証明する発掘や、板碑と呼ばれる石標に記載された伝承から確認されるのだそうです。

昭和20年代の、この石標のあった周辺はとても寂しい場所でしたが、現在の祖師ケ谷大蔵駅近くになって居酒屋や雑貨屋の存在を、深尾須摩子は、過去の祖師谷の古い街道添いの道行く人々の歴史と、当時の祖師谷の自然や、祖師谷通りの風景と重ね合わせて記述したのではないかと想像をします。

「結び」にある、「京に田舎ありとは申候えど/かえって田舎に京ありとも申すべきか/まことの真の文化は」という言葉はとても意味深いようにかんじられ、祖師谷という当時の田舎、さびしいが自然の豊な、武蔵野の風景のなかでの祖師谷の中世以来からの古道沿いの名も知れぬ人々の歴史的風土への思いもあったのかもしれません。

そのほか、「釣鐘池」の伝説や神様の影の記述もとても興味を引きました。

たまたまの巡り会わせとはいえ、深尾須摩子と「祖師谷より」の詩との出会いを教えていただいたことに感謝するとともに、この詩全体に記された風景と心象とが、表面的には大きな変ぼうを遂げたとはいえ、世田谷の祖師谷に限って言えば、その詩を現代読み解き、僅かだが確かに残された歴史や文化の残り物をかみしめて、今に残して、多くの人にこの詩を知ってもらいたなあと言う思いがいたしました。

まだちゃんと詩や畑中氏の文章を読んではおりませんが、一度ちゃんと、今回の出会いと発見とをもう少し資料をそろえてまとめてみようと思っています。

MANA:なかじまみつる

続きを読む "深尾須磨子と祖師谷通りのはずれに立つ庚申塔(その2)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

深尾須磨子と祖師谷通りのはずれに立つ庚申塔

南、二子道/北、高井戸道/西、府中:道しるべ

MANAからⅠさんへ(5月24日付け)

花歌会 Ⅰさま
東京新聞の木曜コラム「味探検」(同コラムのサイト:現在消滅)を書いている中島といいます。「祖師谷」と「高井戸道」を検索エンジンで検索中、偶然「花歌会」のサイト
http://homepage3.nifty.com/hanauta/
に巡り会いました。
じつは、2 月3 日付け「道しるべ」に記載されていた深尾須摩子の「祖師ケ谷」にでている、
「南 二子道
北 高井戸道
西 府中」
の詩の四つ角に今日たまたま通りかかり、その祖師谷通り(祖師ケ谷大蔵駅前の商店街のとおりです)の角に立つ庚申塔に、それと同じものが刻まれていることを、僕が写し取ってきて、この庚申塔について、調べていたところで、この詩に巡り会ったというわけです。
享和二年戊の年(1802年)に立てられた「道しるべ」の四つ角に立ったとき、ああこんなところに、昔の人の行き交う歴史の標しが残されていると、ぽつんと立つ道標の前でちょっと感動をしました。そして、深尾須摩子がこの四つ角を歌ったこととが重なり、とても不思議な気持ちになり、メールをしました。
現在、僕の味探検の街道シリーズ国道246 号大山街道編の脇道さんぽで祖師ケ谷大蔵商店街を取り上げておりまして、来週の木曜日にこの四つ角のことと、商店街のなかでおいしい肉屋さんのコ口ッケを取り上げる(そういうへんな記事なのです)ことで取材をしたところでして、話しの内容に、この深尾須摩子の詩を取り上げて見ようと思った次第です。
山田一雄の作曲で、僕でも手に入るレコードとか、CDと言うのはあるのですか。
そして、深尾須摩子のことは、僕は名前ぐらいは知っていますが、無知同然です。
明日図書館で少し調べてみようと思いますが、もしお手元に、この詩の全文があれば、メールでもファックスでも送ってもらえないでしょうか、というお願いを聞いていただけますでしようか。
それと、深尾須摩子のプ口フィルを知るには何かよいホームページのサイトか、あるいは読む本があれば教えていただければと勝手なお願いを、これまた聞いていただけますでしようか。
なんとも、突然のメールと、無理なお願いをして申し訳ありませんが、もしお時間があれば御回答いただければと思います。
失礼とはおもいますがよろしくお願い致します。
僕の味探検のコラムというのは、古い道沿いに、ブラリと歩きながら、街でであった人と味と、そのまちの歴史や民俗史的なものも加えたミニストーリーを300 回以上も書き続けています。あなたさまのサイトとの出会いも、道でフトであった不思議なめぐり合わせのーつでもあると感じ、ぶしつけとは存じましたがこのようなメールをした次第です。音楽には特にオンチ、無知なためこんなメールになりましたこと御容赦いただければと思います。ぼくの個人的なホームページ下記URL:http://www.manabook.jp を見ていただければ、ぼくの行動記録のようなものが載っていますので、ご覧いただければ幸甚に存じます。

MANA:なかじまみつる

続きを読む "深尾須磨子と祖師谷通りのはずれに立つ庚申塔"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2002年9月 | トップページ | 2003年8月 »