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深尾須磨子と祖師谷通りのはずれに立つ庚申塔(その2)

道しるべ

MANAよりS・Iさんへ(5月25日付け)

ファックスありがとうございました。
明日昼締めきりの原稿に使わせてもらいます。

今日、祖師ケ谷大蔵に出かけてきました。味探検の味の取材(祖師谷鈴木=メンチカツとコロッケ)のあと、祖師谷通りの塚戸十字路の千歳台2丁目46の角地に立てられた石標について地元の神社総代のかたから由来などを聞いてきました。

結論からすると、詩に出てくる「道しるべ」は、「塚戸十字路」角にある石標であることがほぼ間違いないことがわかりました。南二子道、北高井戸道、西府中の位置関係にある道筋と道の呼び名は、祖師谷地区以外では該当しないようです。またそのような呼び名がある石標は、もし甲州街道沿いにあったとすると高井戸道の位置関係がおかしくなりますし、祖師谷というタイトル詩であることや、祖師谷地区、上祖師谷地区内に、この石標に刻まれた文字は地元のかたもここだけだということです。

それと、ファックスで「祖師谷より」の制作が第2次大戦の終わった年に書かれた(畑中)とあります。じつは、ぼくが、2日まえ石標の文字を書き写したときには、

「南 二子道
北 高井戸道
西 府中」

のうち「西府中」の文字が摩滅して読めなかったのですが、今日、再確認して見たら、うっすらと「西」の刻跡と、「中」の刻跡が確認できて、地元の石標をしる古老も、確かに詩のとおりに刻まれているとのことです。

この石標は、昭和30年ごろまでは、現在ある西向いの祖師谷19番地かどの矢島という家の道の力ドに立てられていたのが、その後、家の増築等のために撤去されて、近くの神社に移されていたものが平成になってから再度現地に立てかえられたものだそうです。「西」の文字が、この移動の際に、たぶん摩滅したものとおもわれると、古老の言で確認しましたから、深尾須摩子が、祖師谷に住んで、詩を書いた時点(昭和19年~20年)では、「西府中」の文字も鮮明に読み取れたものと思います。

この塚戸の地名は、「塚土」が昔の名前で、鎌倉時代、鎌倉街道をとおり、出兵をして戦争に参加し死亡した遺体や遺品、馬などを埋めた「塚」が元になっているということで、それを証明する発掘や、板碑と呼ばれる石標に記載された伝承から確認されるのだそうです。

昭和20年代の、この石標のあった周辺はとても寂しい場所でしたが、現在の祖師ケ谷大蔵駅近くになって居酒屋や雑貨屋の存在を、深尾須摩子は、過去の祖師谷の古い街道添いの道行く人々の歴史と、当時の祖師谷の自然や、祖師谷通りの風景と重ね合わせて記述したのではないかと想像をします。

「結び」にある、「京に田舎ありとは申候えど/かえって田舎に京ありとも申すべきか/まことの真の文化は」という言葉はとても意味深いようにかんじられ、祖師谷という当時の田舎、さびしいが自然の豊な、武蔵野の風景のなかでの祖師谷の中世以来からの古道沿いの名も知れぬ人々の歴史的風土への思いもあったのかもしれません。

そのほか、「釣鐘池」の伝説や神様の影の記述もとても興味を引きました。

たまたまの巡り会わせとはいえ、深尾須摩子と「祖師谷より」の詩との出会いを教えていただいたことに感謝するとともに、この詩全体に記された風景と心象とが、表面的には大きな変ぼうを遂げたとはいえ、世田谷の祖師谷に限って言えば、その詩を現代読み解き、僅かだが確かに残された歴史や文化の残り物をかみしめて、今に残して、多くの人にこの詩を知ってもらいたなあと言う思いがいたしました。

まだちゃんと詩や畑中氏の文章を読んではおりませんが、一度ちゃんと、今回の出会いと発見とをもう少し資料をそろえてまとめてみようと思っています。

MANA:なかじまみつる

S・IさんよりMANAへ返信(5月26日付け)

なかじまみつるさま

私も今日行って来ました。祖師ヶ谷の塚土十字路へ。
町田で仕事が思ったより早く終わりその足で思い立って行ったもので
地図も用意せず、祖師ヶ谷大蔵駅にあるインターネットカフェで
中島さんに教えていただいた番地を手がかりに地図を検索して行きました。
はじめてこの駅に降りましたが、
商店街は想像していたよりずっとどこまでも続いていて
庶民的などことなく懐かしい感じのするにぎわいで楽しく探策しました。
美味しそうなにおいも漂ってきたりして…。
通りの先の方に野菜畑や枇杷?の畑などもあったりして
どことなく“京の田舎”の雰囲気も と思ったら塚土十字路に当たりました。

勝手な思いこみをしていたので、思わずひとり心の中で笑ってしまいましたが…
実は私、一面にこの西、東、北 の記述があると思っていたので
四角い石碑の各面に刻んであるのを見て
そうだよな…でないと道しるべにならないもの…なんて思ったりして。(^^;)
今もにぎやかな通りのはずれですが、たしかに当時は
「底の抜けた駕籠が通りそう」な寂しさだったのかも知れませんね。

わたくしこそ、この道しるべ に巡り合わせていただき
中島さんに感謝です。
はなうたコラムにこのことを書いてから、いつ探しに行けるかと思いつつ
なかなか行動にうつせなかったもので、良い機会を与えていただきました。

ちがう方向から というか まったく反対の方向から 来て
こうして合点できることって何だか嬉しいです。
こういうよろこびを大切にしたいと思いますし
また、そういう文化の確かな後ろ立てと自分の足でそれを体験するよろこびを得て
より説得力のある音楽作りを志して参りたいと願っております。
遠からず、花歌会コンサートで「祖師ヶ谷」を歌ってみたいと思います。

ライターのお仕事もほんの数行を書くために
きっとどれだけの行動を必要とされることでしょう…心から尊敬です。
これからも、興味深いたくさんの記事をお書き下さい。

それでは、また。

I・S
HP随時更新中
http://homepage3.nifty.com/hanauta/

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