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インドのブラックタイガー養殖事情―1~3

海外レポート(「養殖」誌1995年1~3月号連載)

[最新]インドのブラックタイガー(BT)養殖事情

加熱するエビブームの背景 by 中島 満

だいぶむかしの原稿だが、MANAの懐かしいインドレポートでもあるので、参考記録としてPDF化してブログに載せておく。藤本岩夫さんが、今年(2008年)はじめになくなられた報を、奥様のビンビンさんからメールをもらい知った。ショックだった。追悼記録を整理する意味もあって藤本さんとMANAとの交友録を整理しているのだが、10年以上もの時間が過ぎてしまった。(081229記)

 《まえがき》 世界のエビ養殖は、生産量60万トン台に達し、サケ・マス養殖とともに1980年代後半から著しい成長を見せてきた。その主役は、東南アジアにおけるブラックタイガーと中国の大正エビ、及びエクアドルホワイトであったが、1993年の中国大正エビの病気発生による急減によって、我が国のエビ市場においては、ブラックタイガーへの依存度がいっそう高まってきているのが現状である。
 ブラックタイガー養殖は、1988年の台湾の斃死急減によって主力生産国は、タイ、インドネシアの二大国にフィリピン、インドが加わった4国がリードしてきた。なかでも、成長著しいのがインドである。インドネシアがトップの座を堅持する一方、夕イの伸び悩みとフィロピンの減少にあって、急成長を遂げたのがインドである。
インドのブラック夕イガー養殖はいったい、タイやインドネシアに比ベてどこがどう違うのか、どこまで伸びる可能性を秘めているのか。インド各地で、健康な強いエビ作りを主眼においた指導に全力を傾注されている藤本岩夫氏(エーシアン・アクアカルチャー・エンタープライズ代表)の話を交えて3回の連載でまとめてみようと思う。
 第1回では、インド国内の過熱するエビブームの背景と日本の対応について整理する。そして、第2回に具体的な地区毎の生産事情に触れ、第3回にインドにおいて藤本氏が実践している有機エビ養殖の試みとブラックタイガー養殖の間題点について紹介してみたい。

その1:「indeaBTreport01-1995.pdf」をダウンロード

わずか2年でインドBTがエビ相場のプライスリーダーに/東海岸に多い養殖適地/養殖産地開発の二つの流れ/(1)ビマバラム地区中心の計画的粗放養殖/(2)ネロール地区中心のセミインテンシブ養殖

その2:「indeaBTreport02-1995.pdf」をダウンロード

70億尾の種苗需要に八ッチェリー建設ブーム続く/今年後半からBT本格生産となるかどうかに注目/(1)ウエストベンガル州―伝統的粗放養殖地帯/(2)オリッサ州/(3)アンドラプラディッシュ州/(4)タルミダド州/(5)ケララ州/(6)カルナタカ州/(7)ゴア州・マハラシュトラ州他/〝貧困の民〟のイメージはおおきな誤解

その3:「indeaBTreport03-1995.pdf」をダウンロード

ハッチェリー建設ラッシュ地帯を行く/サクセスストーリーが行き交うバブル街道/インドアクア95の熱気/藤本岩夫氏の横顔/人づくり・種づくり・土づくりが強いエビを生む原点

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地震と蔵書

2005年3月24日備忘録「地震と蔵書:fish-MLへの投稿記録」

フィッシュMLの皆様へ

MANAです。
漁業権の重くてかったるいメール失礼しました。適当に読み過ごしてください。
ところで、ぼくは、昨年秋に、おっかない女房からきつい指令を受け、その恐怖の告知に対応すべく、ある決断をしたことを皆様にご報告申し上げ、この判断が果たして正しかったかどうか、みなさまは我が家の悩みをどう対処されているかご意見をば頂戴したくメールをしてみる決断をした次第です。

地震の恐怖が襲っております。
わが女房はあるとき思い余ったかのようにある通達を我輩に発したのでス。

こういうことです。

昨年秋に、これ以上ワタシは、本の重みに苦しみぬくことには耐え切れませぬ。地震がきたら、まずあなたの部屋の本の山(2階の事務所に蔵書しておるのです)が上から落ちてきてキッと身動きがとれなくなるでしょう。私はあんたのカビ臭くて古臭くてモノの役に立たない本の山の中で息絶えるのは嫌ですから、私と一緒の暮らしを継続したいのなら、まず本を処理しなさい、売るでも捨てるでも、とにかく即刻2階の本の山を処理しなさい。
ということでありました。

MANAは、困りました、悩みました。

何十年と活字漬けの暮らしをして知らぬまに増えていった、主に全国にひろがる漁業関係の地方史の資料を、1年に1回も開くことがなくなっているとはいえ、捨てるに忍びない、売るとてガリ版資料などでゴミクズ同然ですから換金などほど遠いわけであります(とはいえ1冊云万円の値がオークションなら付きそうなもんもけっこうあるのですがね)。
MANAは決断したのです。何れにしろ、基本的に当面この半年ほど仕事でやむなく必要となる資料以外は手放そうと。

では、どこにこれを移動するのか、個人書庫を作る金などなく、倉庫を借りるのも1ヶ月云万円などもわずかなこずかいからは捻出できぬ。

しょうがない図書館に寄贈しよう。それも望んでもらってもらわねば、不肖MANAが、いのち(こずかい)を削って集めてきたこの世に二つとないもの含む資料だから、大切に保存してもらわねばならない。地震がきても燃えない建物を装備している施設が望ましい。ウンヌンを考慮して、私が昔からマイライブラリーとして利用してきた「味の素食の文化センター」にしようとおもったのであります。ちょうど、同図書館の司書の方から、漁業関係の本が不足しているので必要な本をリストアップしてくれないかと依頼をされていて、その後何もしていなかった、申し訳なさも手伝って、引き取ってもらおうと思ったのであります。もちろんただで(とはいえ挨拶代わりに年末にシャンパンと高級ワインが2本とどきました)。
ぼくが、そこへ行けば、いつでも必要な本を引き出せるわけですから好都合といえば好都合、これに決めたとばかり、昨年末、数日かけてダンボールにバンバンと10数箱ばかりつめて送りました。だいたい400から500冊ぐらい。地方漁業史の分厚い本も多かったため400キロぐらいにはなったでしょうか。未整理で残しておいた新聞や雑誌の束や切抜き等のゴミくずはみんな捨てました。これも200キロ近くなったはずです。
いやあすっきりしましたです。

それと、ぼくは、もう古臭い資料など頭にはほとんど残っていないわけだから、こんなもの当てにせず、自身の頭の中に残るわずかのオリジナリティーで書けばよいのだ、となったとたん、じつに心の重荷が取れた気が致しました。
1トン近くがこの場所にあったかとおもうと、女房ならずとも冷や汗モノでありました。
あれから何度も大きなゆれがありましたが、ぼくの決断の効果が発揮される日などこないほうがよいと思いつつ、あの手元から消えた分身に想いをよせる日々であります。
生前贈与という話はききますが、お金と縁のない身ですから生前蔵書の寄贈などで、せめてもの女房のご機嫌とりをあい果たした次第であります。
こんな投稿ありですか。
あんまりこんな話は聞きませぬが、まあよいではないですか。
ひとそれぞれ、人生いろいろですから。
みなさんの蔵書はどうされておるのですか。

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