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冬でも氷の話題です―古代氷室研究家・川村さんからのおたより

Kawamura070223himuroyoko 夏の氷室の祭事は冬の氷の蔵入れ儀式から始まります

 古代氷室研究家の川村さんから復元氷室の氷り入れの貴重な画像を送っていただきました。

川村和正さんからのおたより

 その後、いかがおすごしですか。先日2月15日に、奈良県のK小学校で3回目の復元氷室への氷入れが行われ、招待されたので見学してきました。

   過去2回は7月中旬残り氷はゼロでした。小学5~6年生の理科実験ですから、大規模Kawamura070223kouriire5_1にできない制約があり、15kg×20個=300kgしか貯氷できません。しかし、熱意に打たれ、父兄で建設業者の方がボランテイアで画像のような新氷室を設営されましたので、今年こそと期待されます。

写真上:新氷室の全景

写真中:氷り入れ

Kawamura070223iriguti写真下:新氷室入り口

なお、新しい氷室の建設に当たってK小学校の生徒3人が文章にまとめた「三代目葛氷室」のPDFファイルがありますので、ご覧ください。

「kawamura070223-01PDF.pdf」をダウンロード 

★また、氷室や氷の歴史については、川村さんの論文やMANA(なかじまみつる)のエッセイなどいろいろなかたがたが執筆されている「氷の文化史」サイトを「MANAしんぶん」に設けていますのでご覧になってください。

By MANA(なかじまみつる)(C)、川村和正(C)

MANAしんぶん「氷の文化史」サイト目次:

http://www.manabook.jp/essay-icemanlibrary-index.htm

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エコラベルってなあに?

自然産業の可能性と水産エコラベル

 アミタ㈱持続可能経済研究所の主任研究員・田村典江さんに、「エコラベルってなあに?」と題して、お話を伺いました。これからの水産業、とくに沿岸漁業者にとっても自らの生産物に対して環境負荷を小さくしています(「環境にやさしい」)ということを消費者に伝え、理解してもらうことが経営改善にもつながる時代になったのです。沿岸漁業がこれからどのように向かうべきかの提案を、わかりやすい事例を交えて解説をしていただきました。

 私が取材構成をして載せている「漁協と共済」2007年2月号「リレートーク」から、一部加筆してPDF化したものです。関心のある方は、ダウンロードしてお読みください。

田村典江さんに聞く「わかりやすいエコラベル」

MANA(中島 満)(C)

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あるダイバーショップサイトの意見に感銘を受けました

海は誰のものか?……「地先」の海と「庭先」の公道

Daiverosezaki_1  「漁業権」と「地先権」というキーワードの検索によって、「ブルーアース21小倉」というスキューバダイビングプロショップのスタッフのかたがたが書いているブログに「海はだれのものだろう?」という意見が載っている文章を読みました。

 とてもわかりやすく、ダイビングのプロとしての経験豊富な方なんだなあと、その整理の仕方に、私も勉強になりました。

核心部分だけ引用させていただきました。(添付写真は、静岡県沼津市大瀬崎のダイビングスポットに向かう2人のダイバー。撮影中島)

「Aというダイビング事業者は「日本の海で潜るんだから、航路等ダイビング禁止区域以外はダイビングすることに問題はないし漁協や地元の許可など不要」と考えていたとします。
 Bという地元の方(主に漁師)は「先祖から守ってきた地先の海なので、地先権があるので地元の許可を取ってから潜るべき」と考えているとします。
 ※地先権とは
   江戸時代以来の1村専用漁場の慣習から来た考え方です。
   この考え方により現在の共同漁業権が発生しています。
   よって、C漁業共同組合の共同漁業権内の海域でD漁業共同組合の組合員は漁業操業できません。
   また当然、D漁業共同組合の共同漁業権内の海域でC漁業共同組合の組合員は漁業操業できません。
 AとBの考え方は相反する考え方になります。

 以下は私の考え方になります。
 では、どちらが正しいかと考えるとどちらも正しいと個人的には思っています。
 Aの考え方の通り、日本の海なので、航路等ダイビング禁止区域以外はダイビング実施することには基本的には問題はないと思います。実際、裁判でも漁業権は共同漁業権内での排他的漁業操業を認めているのであって、海域での海面占有権を有するものではないという判例が出ています。
 では、だからといって海面を利用する他者(例えば漁師や釣り人や船舶等)を無視してダイビングを実施すれば必ずトラブルや事故が起こります。あくまで、漁業権は共同漁業権内での排他的漁業操業を認めているのであって、海域での海面占有権を有するものではないと言ってますので、ダイバー・漁師・釣り人・船舶など皆が個々の主張しルールなき無法地帯に海面&海中をしてしまえば大変なことになります。
 よって、Bという考え方も考えておく必要があるのです。
 地元の綺麗な海に行って潜らせて頂くという謙虚な考え方もやはり必要なはずです。海岸やトイレ清掃等は地元の方々が日々あるいは定期的に行っている場合も多々あります。そのことを訪れるダイバーは忘れてはいけないはずです。
 もし、自分の自宅の前の公道で定期的に訪れて、ぺちゃくちゃしゃべって多少なりとも汚して帰ったとしたら、気分はよくないはずです。ですから、AもBも考え方は必要なのです。訪れるダイバーや地元の方や他の海面利用する方々との協調やルール作りは必要なはずなのです。
 しかし、これは主義主張が各々違いますからだれも率先して調整を図ろうとはしたがりませんし、新しいダイビングポイントの開拓にはものすごい時間と労力がかかります。
 私も約3年前から北九州から日帰り圏内で行ける北風が吹いても強いダイビングポイントを大分県内で開拓しようと何度となく地元関係機関や関係者に足を運びました。
 最初は相手にもされない状況でしたが、私の考えを伝えひとりまたひとり話を聞いていただくようになりました。
 大分県内のその地域では昨年より、ダイビングを開始し最初は反対の方も多くいましたが(今でも反対の方はいらっしゃると思います)、地元との共存共栄と大切にしている地先の海を潜らせていただく謙虚な考え方(具体的に言えば、買い物や食事は地元で行い、定期的に海岸・海中・トイレ清掃を行う等)により共存共栄できるようになってきました。」

 そのとおりなのです。法律で説得しようという考えでは、基本的に海という「だれのものでもない」自然領域の利用の問題は、解決が難しいのです。この文章をまとめられた筆者の「takaki」さんの、おっしゃるとおり、海という場所を「自分の自宅の前の公道で定期的に訪れて、ぺちゃくちゃしゃべって多少なりとも汚して帰ったとしたら、気分はよくないはずです。」という出来事に置き換えてみればよくわかります。

 本来の「地先」という考え方は、法律以前に、人々の暮らしの私的領域の境界を超えた「庭先」とか「裏路地」とか、そういう公共域の利用に置き換えてみればよくわかりますね。

 自宅の前の道路のような公共域だけれど、そのエリアをそこに住んでいる住人が掃除をしたり、草むしりをしたり、犬のウンチを取り払ったり(マナー違反の後始末をするのは胸くそは悪いけれど)しなければ、日々の暮らしを気持ちよくすごせないという「気持ち」が前提の行為なのです。

 海も同じなのだと思います。地先の浜や海は、漁業の利用のためのゾーンという以前に、そこに長く住んできた住民にとっての庭先の気持ちがまずあるのだとおもいます。つまり、住民の集まりが、集落や、村や町になるのですが、あくまで、そこで暮らしやすい条件を整えるために、庭先の公的エリアは、人任せではなく、まず自分でできることは管理しよう、ということです。

その住民の住む地域ごとに、個人のルールと、地域のみんなのルールとが、長年かけて庭先や地先の海の地域のルールを築き上げてきた、その蓄積の結果が、法律と同じような効力を持ったり、ある部分のルールは、法律として規定をされることになったものということなのではないでしょうか。

By 中島満:MANA

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水産基本法と海洋基本法

「人間中心主義」か「生態系中心主義」かの視点

 [季刊里海]通信のブログのほうで、新年冒頭メモで書いた、「今、なぜ海洋基本法なのか?」へのアクセスすが1日100件ぐらいに増えています。けっこう関心あるんだなあと言う印象ですが、ぼくがPCにファイルしてある、ネット公開資料のストックの中に、おもしろい国会審議上で繰り広げられた国会議員の意見交換があるので、引用しておきましょう。

 この記述は、第151回国会の農林水産委員会議事録「第15号―2001年・平成13年5月29日」で公開されているものですが、海の保全を考える時に、「人間中心主義」か「生物多様性を柱にした生態系中心主義」かの調整というテーマをも含めて発言しているなど、現在の一般的な人々の海を考えようとする時の視点を表現していておもしろいと思ったので載せてみました。これは、国益論ではない、もう一つの環境論からアプローチした海洋基本法を志向する考え方ともいえるでしょう。

○佐藤(謙)委員 農業には、開発から身を守る仕組みというのが、今いろいろと社会的にあるんですが、どうも漁業と森林・林業は、まさに開発にさらされてしまう。だからこそ、今、森は海の恋人、川はその仲人と言われた、気仙沼の畠山さんが始めたああした運動が全国的に展開をされる。
 そして、私も、水俣に行ったときに、水俣病で本当に人生を棒に振ってしまった、結婚もできずに、家族にも死なれ、たった一人で、今、小学生を相手に一生懸命水俣病のことを話をし、そして毎朝シラスの漁に出ている女性の方にお目にかかった。本当に、苦しみや怨念を超えて、仏様のようなすばらしい顔をされておられたんですが、その彼女も一言、不知火を昔のようなすばらしい海に戻したい、そのために、佐藤さん、一緒に山を大切にしましょう、山から始めたい、山にある、森林にあるフルボ酸鉄というものが結局植物プランクトンを育て、そして食物連鎖ですばらしい豊穣の海をつくっていくんだ、そうしたお話を聞けば聞くほど、今我々がどういう仕組みをつくっていくかというのは非常に大事なときなんだろうと思うんです。
 私は、一つ、化学物質の問題で、いろいろと法律をつくってきたりしましたけれども、その中で、ある市民運動の方がこういうことを言われたときに頭を殴られたような思いをしたんです。それは魚とPCBの問題で、我々人間はダイオキシンの九割が口から入る、そのうちの七割が日本の場合は魚からと言われて、魚の、食の安全性というのは非常に大切だということを我々は肝に銘じたわけです。魚の汚染というとすぐ、佐藤さん、あなたは、我々人間が食べて、そして体にどういう不都合があるか、健康を害するかということばかりを考える、それは本当の意味では人間中心主義だ、魚が侵されている、そういう現実に目を当てなければ、この問題は解決しないんだよと。魚に蓄積された化学物質を人間がどれだけとるかではなくて、魚がどれだけ蓄積してしまっているかというところから視点を当てなければいけないと。
 まさに、この水産基本法の一連の議論でどうもかみ合わないその議論の根本は、人間中心主義かあるいは生物多様性を柱とした生態系中心主義かの、そのミスマッチがそのままあらわれてきたような気がしてならないんです。保全は一切自然に手をつけない、そういう誤解からスタートする。調和というのはいい状態にするんだということで、調和の方がはるかに重い大きな概念だと言われてしまうと、そこで話はストップしてしまう。
 あくまでも、水産というのはやはり人間が主語、我々の事業が主語なんです。そうじゃなくて、我々も自然の中で生かされているという、先ほど、謙虚な気持ちを大臣は持っておられるわけですから、そうした大臣の謙虚な気持ちをそのまま法律や日本の社会の仕組みに、今の大臣だったらそれができる立場におありなんですから、やっていただきたいと思うんです。
 例えば、栽培養殖漁業の危機が言われています。一九九六年に、熊本県の天草でアコヤガイの被害が起きました。そうした被害を中心に、今養殖漁業の危機が言われています。ホルマリン漬けのトラフグですとかあるいはヒラメ、今、そうしたものが給餌養殖としてどんどん広がりを見せているわけですけれども、そうした安易な化学物質を使う漁業というものを、とる漁業からつくり育てる漁業という名のもとに野放しにしてしまって、都市生活者がそのままわかったと言ってくれる時代が来るのかというと、私は来ないというふうに考えています。
 そこで、この養殖漁業については、一九九九年、おととし、持続的養殖生産確保法というのができたわけですけれども、この持続的養殖生産確保法、この目的を見て僕は唖然としたんです。実は、私、このとき農水委員会に所属していなかったので。この目的の中で、「特定の養殖水産動植物の伝染性疾病のまん延の防止のための措置を講ずることにより、持続的な養殖生産の確保を図り、もって養殖業の発展と水産物の供給の安定に資することを目的とする。」つまり、事業者、供給者からの視点だけででき上がっている法律。
 これは、この法律の性格上やむを得ないかもしれないわけですけれども、消費者の食の安全、さらには化学物質に対して、水産業という一つの業の中でどういうふうにこれから扱っていくのかということは、私は、非常に大きなテーマなんだろう、それこそが、人間中心主義なのか、生物多様性を柱にした生態系中心主義なのかを大きく左右する、まさに岐路に立っているときだろうと思います。
 こうした問題についてどういうふうにお考えでしょうか。

○武部国務大臣 私は、人間も自然界の一員だ、こう思っておりまして、今先生の御指摘の点については、相対立する関係ではない、かように思っております。
 いずれにいたしましても、さまざまな人間活動による自然環境への負荷が非常に大きくなっているということは非常に大きな問題でありまして、先ほども申し上げましたように、自然の恵みに感謝するとともに、自然を恐れる謙虚な気持ちを持つことが、生産者も、食品加工業者も、また消費者も、これを原点として考えていかなければならない、かように思っております。
 有明の問題についても、私が先般、お互いまず自分の足元を見詰め直してくださいということを申し上げましたのも、私は、酸処理剤の使用の問題のビデオなども見ましたけれども、結果的には自分で自分の首を絞めるようなことにならないように、そういう意味では、何事も法で規制するとかそういうことではなくして、その原点を考えればきちっとした対応ができるのではないか、このように考えております。行政の面でも、そういう考えを前提に今後の対応を、しっかり適切なやり方をやっていかなきゃいけない、このように思っております。
 私は、そういう意味では、対立する関係ではないけれども、先生の御指摘というのは非常に重要な御指摘だ、かように受けとめております。

○佐藤(謙)委員 どうもありがとうございます。
 最後の質問になると思うんですけれども、今、感謝と謙虚という言葉を出していただきました。それに対して私は感謝を申し上げたいと思うんですが、海洋資源という言葉自身に、人間にとってのみ有用であるというそうした傲慢さ、そうした考え方から解放されなければいけないんじゃないかということを考えると、水産基本法を初めとした関係諸法はそれはそれとして、それをもう一つ大きく包括する、先日の参考人質疑で、東京水産大学の多屋先生でしたかお話がありました、海洋基本法がもう一つ大きい問題としてあるのではないかと。私は、海洋保全法というようなイメージでいいのではないかなというふうに思っているわけです。
 要は、海全体の生産力をどうふやすか。その中で、漁業者はどういう役割を演じ、国民はどういう役割を演じ、そしてその中でどれだけの分け前を我々がもらい、次の世代にバトンタッチをしていくのか。そうしたことを大所高所から議論をする時代というふうに私は申し上げましたけれども、まさに、海洋における生物多様性というのは、実は盛んに条約に加盟はしたのですけれども、今、そうした目的を施行する国内法というのがないのですね。今すがっている法律は何かというと、まさに水産庁が所管をしている漁場保全だとか、水産資源の保護というところしかない。やはりこの法律のさらに包括的に大きな海洋保全という問題を考えると、海洋保全法あるいは海洋基本法をつくるべきだと私は思います。
 そして大臣は、これは所管ではないのかもしれませんけれども、今までのこうした議論の中から、最後に前向きな御発言をいただければと期待を申し上げます。

○武部国務大臣 ここ数年ですよね。環境修復型の公共事業、そういう問題が提起されたり、人と自然との共生ということが大きなテーマになってきたというのも、これが具体的に国民レベルで関心が高まってきたというのは、私の認識ではここ数年ではないか、かように思います。これは、急速に高まっていくだろうと思います。
 そういう意味では、こういう議論というものをどんどん盛んにしていくというようなことが大前提であって、現時点においては、前向きな答弁がなかなかできないということでおしかりを受けるかもしれませんけれども、議論が成熟しているとは思わない。議論が緒についたと。これはやはりもっと、これは農林水産省の所管ではないかもしれませんけれども、それは私どもの所管ではありませんということではなくして、私どもの方からむしろ積極的に問題提起を掲げて、そして国民的なレベルで、今先生の御指摘のような議論を盛んに高めていく必要があるのではないか、そういうことを前提に、いずれ将来立法ということも俎上に上がってくるのかな、そういうような印象を私は持っている次第でございます。

○佐藤(謙)委員 武部大臣の誠実なお人柄に期待をして、質問を終わらせていただきます。

MANA(なかじまみつる)

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