中野の誇れる「豆腐屋」さん、ついに廃業
残念無念!薬師通りの火が消えた
中野に住んでいて、友人知人に、わが町自慢の「豆腐屋」の存在を誇らしげに語ってきた。昨年末「しばらく休業します」という札が貼られご主人と女将さんが、体を安めにどこか旅行に出かけたんだろうと思って、再開を待ち望んできたのだが、年が明けて、その札はいつしか「長い間ごひいきありがとうございました。閉店を決意いたしました」に代わっていた。
1丁160円の木綿豆腐は、どこで買う豆腐よりも2倍はあるような大きさで、湯豆腐や冷や奴で食べれば、絹豆腐のようなきめの細かな、ふわっとした味わいに、他の豆腐の存在をすべて凌駕してきた。腰が曲がって、寡黙に、客にお世辞のひとことも言わない代わりに、がんもも、厚揚げも、油揚げも、うまかった。
私は、東京新聞で連載していた「味探検」に載せたい、と、取材を申し込んだとき、かたくなに、「うちなど普通のとうふを作って売るだけ。話は苦手だし、……」と断られ続けた。それでも、客として、近所のよしみもあってか、なんとか、取材に応じてくれた。もう、10年も前のことになる。そのときの記事のタイトルが「夫婦円満、豆腐もビッグサイズ」だった。
中野区新井薬師「浜田とうふ店」である。私のホームページに、この店の情報が載り続けているので、この「廃業」の事実を載せておく必用があるので、このさい、ブログで、当時の記事を再掲し、私にとっての、「ここに中野名物豆腐屋ありき」の祈念碑替わりにしようと考えたわけである。
リンク(1):江戸前の味探検(1997年9月18日)記事「浜田とうふ店:夫婦円満、豆腐もビッグサイズ」
リンク(2):食単随筆:江戸幕府の粋な庶民表彰のはなし―豆腐屋余聞
豆腐屋がやっていけなくなるような今の時代のおかしさに、ひとことも注文も不満も口にすることなどせず、残念がる客に、その無念な顔をみせることなく、静かに身を引いてしまった。本当に、ほんとうにご苦労様。残念だけれど、しょうがない。あと、中野で、もう1件自慢のできる「パン屋さん」「ボングー」の親父にはがんばってももらうしかなくなった。
By MANA:なかじまみつる
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