大山街道と鎌倉道と世田谷ボロ市の位置について
2003.03.31記:MANA:なかじまみつる
大山道とボロ市通りの位置について
世田谷区の「世田谷」の名前の発祥地が世田谷城址周辺であるが、もともとは、この地が、江戸幕府創設前からの、関東守護を司った足利の北方地区(東北)、内陸地区(甲州)防護のための要地であったことからの吉良家による世田谷城の設置場所であったことからの由来とされている。
世田谷城は、江戸開府による域内及び周辺地区にあった城砦撤去政策でとりこわされることとなったが、世田谷城址と豪徳寺の北辺通っていた、甲州街道が整備されるまでの奥州道と甲州地区を結ぶ滝坂道(現・淡島街道)と、東海道整備による箱根関所が設けられるまでの幹線道であった足柄峠越えの道(矢倉沢往還、厚木街道=大山道)の物資流通の要地として近世、近代以降継続していくこととなる。
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