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新刊案内『静岡新聞に見る静岡県昭和水産史』

MANABOOK:2008年12月10日発行:好評発売中

静岡新聞に見る静岡県昭和水産史

Syouwasuisansi2satugazou_2幡谷雅之著偏 まな出版企画刊

◇A4判並製・カバー・772頁[本体価格4000円+税]

ISBN978-4-944114-10-8 C0062 \4000E

◇本書の特徴

○……激動する昭和の“水産静岡”を新聞記事タイトルから切り取った異色の水産史誕生!!

○……戦中戦後の混乱期から漁場拡大・技術革新期を経て発展してきた頼もしい“水産静岡”!!

○……その裏には第5福竜丸ビキニ被爆、多くの漁船遭難、公害被害などの悲しい歴史も!!

○……水産行政から漁業~養殖~加工~遊漁~料理、そしてB級記事に至るまで、水産関連の全記事を採録!!

◇本書の購入方法

★本書は、自費出版物のため一般書店ではご購入できません(但し、静岡県内では、「戸田書店静岡呉服町店」および清水の「東海大海洋学部売店」にて扱っています)。
★ご購入希望者は、まな出版企画まで、メールあるいはファックスにて冊数を書いてお申し込みください。
★送料はかかりません。発送元が負担します。

まな出版企画 〒165-0025 東京都中野区沼袋1-5-4 FAX03-3319-3137

メール:こちらまでお送りください。

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「琵琶湖のテナガエビの由来に関する一考察」がおもしろい

原田英司・西野麻知子著「琵琶湖のテナガエビの由来に関する一考察」(琵琶湖研究所所報、21:91-110p) 2004年。
http://www.lberi.jp/root/jp/05seika/syoho_bi/21/21-12.pdf

を読む。近世博物学、本草学から明治大正昭和の魚類学論文までを駆使し、表題のテーマを論述している。

滋賀県琵琶湖・環境科学研究センター
http://www.lberi.jp/root/jp/bkjhindex.htm

のサイトより、公開論文として読めるが、『湖魚考』、『湖中産物図證』の史料価値の大きさに、それぞれ原本のコピーを手元において、自分流の復刻の文章をぼちぼちと、いっこうにすすまぬ作業をしてきたものにとって、現代の視点をもって過去の時代にさかのぼって、事の真相を究明するために、原典に当たって読みこなしていきながら、いくつもの新事実発見をしていく、本論文は、読み終えて、琵琶湖の自然の大きさ、そして、人と琵琶湖のきずなの深さを知ることとなった。ドキュメンタリーが成立するほどの面白さを感じたので、備忘録として、メモを残しておこうと思った。

MANA:なかじまみつる

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伴信友の狩谷棭斎評について

『伴信友の思想―本居宣長の学問継承者』森田康之助著(1979年。ぺりかん社)より

○伴信友:ばんのぶとも:「若狭藩士山岸惟智(これとも)を父として安永二(一七七三)年二月二十五日出生」……「文政四年四十九歳を以て至仕して隠居の身となったが、」……「隠居して一切の交役から自由となった信友は、爾来、その志をもとから好むところの学問に注ぎ、著作に考証・校勘に全力傾け、弘化三〔一八四六〕年十月十四日、京都の所司代屋敷に歿する。七十四歳であった。」(8p)

○「棭斎と信友:考証学者として知られた人物に、狩谷棭斎がある。信友とその生存時をほぼひとしくするこの棭斎は、その家の号を「実事求是書屋」といった。源順の『和妙類聚抄』の『箋注』二十巻は、その学問の特色を最もよく伝え、比較考証はまた精細を極めている。ではあるが、次に掲げる信友の棭斎評は、信友自らの持するところが、そもいかなるものであったかを、自ら語るものとして注目される。

三右衛門(棭斎)は津軽屋と申家名にて、雅には狩野(マヽ)之望(マヽ)、漢名棭斎と稱候。先年霊異記の考説ヲ著述印行いたし候。類写本霊異記にも、此男校行にて奥書有之候。和漢の古書ヲ好候て、校合考證をむねといたし、就中漢学ノ方長じ候様子、勿論古道は夢にも知らぬ趣也云々。珍書をほり出し、人にふけらかして、さて少も見せぬ風に相聞候也。(村田春門宛、信友書翰、文政一一・二・一三)

云々というがそれで、信友の気概にあっては、棭斎の考証と、自らが心がける学問、即ち校勘を、その重要なる手順とする学問とは、その性格を全く異にするものあるを云わんとしているのである。信友は棭斎とひとしなみの考証学者として数まえられることをば、いさぎよしとはしていなかったのである。」(183~184p)

MANAメモ:(1)「狩谷棭斎」は、現代のメールで、「棭」を打ち込み送信すると、文字化けが起きる恐れがあるのでご注意のこと。MANAは、ホームページ上では、「狩谷エキ斎(かりやえきさい:安永4〈1775〉~天保6〈1833〉)」と、カタカナ混じり表記で記している。

(2)伴信友のエキ齊に対するここに引用した厳しい批判評は、やはりそうなのかと本書を読みながら赤線をひき付箋をつけた。この書の著者も、おそらく、この引用の箇所のニュアンスから、信友に同意をして書いているようだ。いわゆる、近世の国学者と称される学者たちの総意としてよいのかもしれない。

(3)それにひきかえ、エキ齊本人の国学者にたいする評価は、信友がエキ齊に下している「和漢の古書ヲ好候て、校合考證をむねといたし、就中漢学ノ方長じ候様子、勿論古道は夢にも知らぬ趣也云々。珍書をほり出し、人にふけらかして、さて少も見せぬ風に相聞候也。(村田春門宛、信友書翰、文政11.2.13)」と、ほとんど蔑みとしかとれない見下した評価を、知ってかしらずか、箋注倭名類聚抄のエキ齊箋注文において頻繁に、信友の考証を引用している。エキ齊の、直接の信友評は、未見だが、おそらく、引用文の箇所や正確さから、信友や宣長の文章への信頼はあついものがあるように感じられるので、この「侮蔑」と「信頼」という相互評価の落差に、エキ齊やエキ齊らとともに研究、考察の交換を続けてきた「漢学」や「漢方医」学者への「国学者」に共通した、対立感情、あるいは批判の根があるように思える。このあたりは、「国学者」としては、アウトサイダー的存在であった、林国雄への宣長学派たちの評価とも共通するところがあるのかもしれない。

MANA:なかじまみつる

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