オーストラリア先住民との出会い(3)
オーストラリア先住民との出会い(3)
――握手、そして温もりを感じ、心が通じたと思った一瞬だった
中村禮子(なかむられいこ)(2009年4月投稿)
心の傷は永遠に癒されることはない
ゴムブラさんは正にこの被害にあった世代であり、彼はその経験を大変オープンに話してくれた。自分は全くのきかん坊で暴れん坊だったので、収容された孤児院のスタッフからひどいことをされ、結局は親元に戻された珍しい例だといわれた。
そんな話をされ、ゴムブラさんは一呼吸置きながら胸に右手を置いて空を見上げ、その心の痛みに耐えているようで、こちらの方が涙が溢れそうになり申し訳なくて、彼に謝った。
すると、彼は手に負えない子供でよかったんだ、と笑って答えてくれたが、その心の傷は永遠に癒されることはないと、自然のうちに私の心の中に伝えられた。
1997年まで事実は隠されてきた
こうした悲劇に出会った先住民の子供たちが、10%に及んだという統計データからしても、最も悲しい出来事である。これが1969年まで100年も続いたのであるから、その犠牲者の数は計り知れない。
その結果、人間としての一番大切なアイデンティティーの喪失という事態が起こり、それぞれが、決してぬぐうことのできない、人生の大きな傷を背負って生きることになった。そして、この事実は1997年に刊行された司法大臣の報告により、初めて一般に知らされることになったが、それまでは知る人ぞ知るという状況であった。
また、シドニーの街中で、レドファンという先住民が住む地域にも足を踏み入れ、ムトロ博士が案内をしてくれた。本当は、とても一般の人が近付くことすらできない地域である。それは、アルコールや麻薬犯罪の多く起こるところで、いつ何が起こるかわからないという地域で、白人はもちろんだが、有色人ですら敬遠するところである。
レドファンの人々のすむ地域を訪れた
私たちがそこを訪れたのはちょうど土曜日の午後で、その日はファミリーデーのイベントがその地域の中心広場で行われており、広場に設けられたステージの上で、バンドや歌やお話が行われていた。
ステージの後ろにはオーストラリア先住民の大きな旗が建物の一面に描かれていた(写真上)。
それは黒がアボリジニの現在、過去、未来と彼らの肌の色を、黄色は生命の源である太陽を、赤が赤土の大地と、彼らの歴史の中での白人との闘いで流した血の色をそれぞれ表し、彼らのアイデンティティーと誇りを象徴しているようであった。周りのレンガ塀にも彼ら独特な透視画法の絵がカラフルに描かれ、彼らの主張がビシビシと伝わってきた。
周りには白人警官があちこちに詰めていて、何かものものしかったが、先住民の子供たちは他愛なく広場で遊んでいた。
私は日本から健康調査のためにやってきました
黒人のムトロ博士のお蔭で、周りの聴衆と会って話をすることもできた。まず、自己紹介をし、日本から健康調査のためにやってきました。皆さんと会えて嬉しいですと笑顔で話し、手を差し伸べたら、ブルースさんは笑顔で握手をしてくれたので、緊張感が一気に飛んで、暖かい手とともに心が通じる感じがした。
スマートな出で立ちの彼は、学校の先生をしているそうだ。精悍な顔と素晴らしい笑顔が素敵だった。そして、言われた。
私たちは白人に小麦と砂糖と脂を食べさせられたお蔭で、みんなが健康を害しているんだと。その時、はたと気がついたのは、子供が盗まれただけではなくて、さらに彼らの食生活そのものまで、変えさせられたのかと、改めて気付かされたのである。
写真(下):これはオーストラリア先住民が観光客へのアトラクションですが、身体に土絵の具を塗った伝統的なスタイルでシドニーの街角でドジリドゥ(ユーカリの木をくりぬいた伝統的な木管楽器)を演奏している光景です。聴衆から募金をもらいます。
白人に小麦と砂糖と脂を食べさせられたお蔭で、みんなが健康を害しているんだ!!
そのことは、ゴムブラさんとの話の中でも感じられた。自分の母も父も糖尿病にかかって亡くなったし、自分も多くの友人もみんな糖尿病になっているが、どうして糖尿病になるのかと、その背景を聞かれた。
また、自分の一人の息子は歌舞伎症候群といわれる遺伝子異常による病気になっている。そのために、アメリカに検査治療のために行ったことがある。
この子はとっても可愛い子なんだけど体のあちこちに異常があって、可愛そうなんだ、と言いながら視線をそらせた。それから、一時して、自分はアルコールを一切飲まないけど、多くの先住民はアルコールにもやられているんだ、と。 (4)につづく
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