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海は汚させないー人毛騒動

《2019.03,漁業と漁協No.649投稿記事》

戦前期沿岸漁民闘争の記録(1)

豊橋で起きた「人(じん)毛(もう)騒動」―昭和9年漁民勝利の意義を考える―

 

 昨年2月、愛知県豊橋市の「春夏秋冬叢書」という出版社から『海は汚させない―人毛騒動』(牧平興治編著)という本が出版された。

サブタイトルに「昭和九年六条潟漁民生活擁護闘争」とあり、同書腰帯には、その「漁民闘争」について「人毛騒動は、昭和八年から九年の一ヶ年間、三河湾沿岸漁民が一致団結し、生活擁護の旗印の下に、あらゆる苦難を乗り越えて戦った郷土の歴史である。」と簡潔に記されている。

 平成も終わりを告げるいま、戦前期、それも昭和一けたの昔に起きた、漁民たちの人毛製造工場設置反対運動のことを考えることの意味などあるのか。そんな読者もおられるかもしれない。しかし、筆者自身がそうだったのだが、明治から大正、昭和戦前期を「近代」という区分けをしてみたとき、これまで記されてきた漁業の歴史の記述は、「近代漁業」の「発達」という基軸のなかで描きすぎてこなかったのか、ということに気づく。

「生活圏擁護」闘争ってなんなんだ

 豊橋市で起きた「人毛騒動」と呼ばれた、市駅前や市庁舎前に1万人という市民をもまきこんだ大反対集会を行った漁民運動について、実は、漁業の歴史を記述した全国レベルを対象に編集された「年表」書籍に、一行も記されていないのだ。もちろん「管見」によればと、ひとことを添えるにしても、本書に記されたことを知れば知るほど、「近代漁業発達史」の下で、頑張って営んできた沿岸漁民たちの生きざまを、われわれ漁業の歴史を勉強してきたものたちは、きちんと捉えてきたのだろうかと、「反省」が心によぎる。

 本書の編著者、牧平興治さんは、地元の漁業組合員であったこともある元教員の郷土史家だが、これまで発行された郷土史資料には確かに書かれてはいるが、すでに自分を含めて地元ですらまったく語られず、忘れ去られた「人毛騒動」の記述に記された「生活圏擁護」のことばにハッと引き付けられたという。

 漁民の運動、それも昭和9年という時代に「生活圏」を護ろうという旗印を掲げた闘いの経過を「もうれつに」知りたくなったのだという。80の歳も近くなった2016年に、「終活」のつもりで郷土史の本を廃棄しようと整理をしていたなかの一冊、小柳清著『人毛騒動記』(1982年自家出版)の冒頭部分に次のように記されていた。

「今より約五十年前、豊橋市によって行われた日本人造羊毛株式会社の工場誘致計画に当たり、その工場排水によって豊川下流にある三河湾沿岸の漁場が大きな被害を受けるということで、工場の建設絶対反対の運動を約一ヶ年間やりました。今でいう公害運動です。

一ヶ年間、三河湾沿岸漁民が一致団結し、生活権擁護の旗印の下に、あらゆる苦難を乗り越えて戦った結果、人毛会社は豊橋の工場建設をやめて、会社の社長、金光庸夫氏の郷里九州大分市に進出を決定したのです。しかしながら、実際には人造羊毛製造には技術的な難点もあり、第二次世界大戦が終わる前に人毛会社は解散してしまいました。」『人毛騒動』小柳清著(1982・昭和57年刊)序文冒頭より

 牧平さんは、猛然と資料探しを始める。豊橋市図書館に所蔵されていた、地元中学校の先生と生徒たちも協力編集してまとめた『人毛騒動記』谷山秋太郎著(1980年)というガリ版刷りの冊子を見つける。

冒頭に編者名で次のように記されていた。

「牟呂の人びとにとって人毛は触れたくない事件の一つである。…中略…賛成・反対に別れはしたが、どの人もすべて、それぞれの立場から最上と思う道を選んでいた。方や産業都市豊橋発展の視野に立ち、片や生活圏擁護・自然破壊阻止の立場に立って、問題から安易に逃げることなく、まともにぶつかり合ったのである。」(豊橋市立牟呂中学校教諭・金仙宗哲、『人毛騒動記』1980年・昭和55年刊)

 牧平さんは、この2冊を読み進め、関係者を訪ね、資料を集める中で、なぜこの事件が、皆口を閉ざし、記述がこの2冊として残されるまでに50年近くもかかったのかがわかってきた。

地域で二分する戦いが繰り広げられただけでなく、運動としての勝利に終わって良かったというようなことではなく、運動終結とはならなかったのである。闘争勝利者が、闘争に反対した者たちに対する「共同体」としての地域的な制裁、反対側もその制裁措置に対して裁判で挑むという「地域内」問題が長い間続いた歴史を知ることになる。

 しかし、やはり、漁村婦人たちの市民への呼びかけ、呼応した市民婦人たちの運動協力など、現代にも通じるこの運動の経過を、この2冊の本をもとに、わかりやすい文体に編集しなおして世に知らせよう、と決意する。そして、それが、冒頭紹介した『海は汚させない』である。 ぜひ興味のある方は読んでほしい。牧平さんは、本を出して3か月後、持病が悪化し亡くなられてしまった。

人毛騒動の評価を考える

牧平さんは、本として出版すべく、原稿をまとめ、愛知県下の大学の先生(経済、水産)数名に、人毛騒動を現代の人びとに読んでもらえるだけの価値があるかどうか、を聴いて回ったところ、誰もが「わからない」という「消極的」な反応だったという。

牧平さんの知り合いであった東京在住の大崎正治(國學院大學名誉教授)さんにも原稿が送られてきた。その原稿が、筆者の友人、尾上一明(浦安市郷土博物館学芸員)さんを通じて「戦前の豊橋での漁民運動の面白い資料」があるので、読んで感想を牧平さんに伝えてほしいと、筆者の手元に届いたのが3年前だった。

『海は汚させない』の原稿を読み進めていくと、これはすごい資料がでてきたものだとびっくりした。牧平さんに感想を書かなければと、中身をきちんと読みはじめる。

漁民運動史上の位置づけをチェックしてみようと、手元にある『日本漁民闘争史年表』石田好数・漁民研究会・公開自主講座実行委員会共編著(1972年)と、環境社会学者・飯島伸子さんの公害史関連著作を引っ張り出し、該当年次の記述に目を通してみた。

さらにびっくりした。飯島伸子編著『公害・労災・職業病年表』(1977年初版、1979年改訂版)にきちんと整理して載せている。それも、漁民運動としても完全「勝利」を成し遂げた闘いの記録として、「漁民の生活権擁護の長い闘いに勝利」「漁業者のリーダーに旧労農党員あり」「三河湾沿岸漁民の妻一同より、市内の主婦あて」の反対嘆願書を紹介するなど、漁民運動であるとともに「住民運動」として、編著者としての評価を与えていた。

次に『漁民闘争史年表』を見たが、「人毛騒動」に関する記述はなかった。その代り、戦前期の漁民闘争の特徴として、あとがき「基本視点」に次のように記されていた。

「農民運動と異なり、無産運動との関係はほとんどみることができないが、僅かの例外としてあげうるのは、先にもあげた、昭和四年、高知の底曳網反対闘争のみであった。これは新しい社会運動としての萌芽であったが全国化する可能性はなかったといえよう。ファシズム体制の形成とともに、漁民は漁業組合運動(販売事業中心)へと吸引され、体制内化されていくのである。漁業組合によって、前期的商人資本との対抗のために、漁村のボスを中心とした経済運動が展開される。農村の小作争議を指導した農民組合運動に対比できるものは、ついに漁村では成立せず、全漁連が、昭和十六年に成立したことにあらわされるように、翼賛体制の一環に組み込まれてはじめて、曲りなりの全国組織が誕生するという状況だった、……後略」

この人毛騒動のあった昭和ひとけたの時代は、日本の近代化の流れの中で栃木県足尾鉱毒(古川)、愛媛県別子・四阪島鉱毒(住友)、茨城県日立煙害、秋田県小坂鉱山煙害の、いわゆる四大鉱毒事件、そして、水俣病水銀汚染にいたる日本窒素肥料の水質汚濁、岐阜県荒田川汚濁のほか、東京湾における浅野セメント水質汚濁など鉱毒事件から製紙・繊維・染色・セメントなど加害源による汚染の影響が、川、海、水、大気へと多様化していく時期とも重なっている。

飯島伸子「年表」と並行して発表された「日本公害史研究ノート」(1974-75、岩波書店『公害研究』)のなかで、公害被害者の抵抗の歴史を考えるときの公害史を、大きく5区分に分けている。

  • 明治時代以前(江戸時代)
  • 明治時代から第一次世界大戦まで
  • 第1次世界大戦時から第2次世界大戦終了まで
  • 2次大戦後から1950年代
  • 1960年代以後現在まで

 

  1.  

人毛騒動は、飯島区分では第3期にあたる。飯島は、加害源企業の被害者に対する対応について、この第3期の特徴を「日本公害史研究ノート(3)」(1974年『公害研究』vol.4No.1)の中で次のように指摘している。

「加害源企業の対応は、この時代を通して、大体において強硬であったといえよう。中でも、前時代の小規模工業や中規模工業がこの時代には大規模化しており、それらの企業において、前時代とはちがう非常な強硬さがみられるようになったことが目立つ。また、この時代になって新設された企業の場合にも、公害の被害者の抗議を無視する対応が多い。」という傾向を指摘しながら、「被害住民の行動について言えば、被害に対する「お願い」する弱い姿勢のものから、激しい反対運動で加害源企業の操業を停止するまで種々の段階にわたっているし、少数例ではあるが、被害住民の公害反対運動に加害源企業の労働者が参加するケースがでるなど、運動体の構成に画期的な変化の芽が現われたりしている。」

そして、続けて

「公害が起きてから反対するのでなく、起こしそうな企業などの進出に反対する運動が出てきたのも新しい動きである」

と書いている。

鋭い分析だ。この「人毛騒動」における反対漁民の組織的な結束力、行動力、そして、漁民外の新田所有者や市民、女性に対する運動の支援を要請して拡大していくながれは、『人毛騒動』著者・小柳清も「大衆運動」と、自己評価をしている。全国的に、この時の運動は、もっと知ってもらうようにすべきであると、前記大崎先生、尾上さんらと、情報交換会をしながら、牧平著『海を汚させない』発行の応援をしていくことになった。(つづく)

次回以降は、漁民運動を陰で支えた加藤禮吉のこと、琵琶湖関連水域に立地していた「旭ベンベルグ」「東洋レーヨン」が引き起こした「瀬田川魚類斃死事件」との関連、漁民運動として水質保全法制定を農林省水産局に要望する行動、この運動をはじめとする全国で頻発した水質汚濁(当時は「水質汚瀆」と表記)問題への対処として関係省部局ですすめられてきた「水質保全法制定」の動きについてを記す。

◎牧平興治著『海を汚させない』定価:本体1200円。発行所:春夏秋冬叢書 〒441-8011 豊橋市菰口町1-43。電話:0532-33-0086

 

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