「MANAしんぶん」サイト復旧しています

MANAしんぶん:http://www.manabook.jp 復旧しました

おわび:10日ほどぼくのメーンサイト『MANAしんぶん』http://www.manabook.jpが破談状態にありましたが、10月17日よりお名前ドットコムのドメイン更新手続きが完了し、復旧しました。MANAへのご心配いただき多くのメールをいただきました。ご心配をおかけし、MANAサイトを通じてホームページサイトを開いている方や、常連アクセスをいただいている方々におわび申し上げます。このドメインもけっこう浸透しているのがまた確認でき、「うっかり」もできないことに気づきました。

今後とも、内容充実に努めますので、よろしくご後援のほどお願いします。

MANA:なかじまみつる

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MANAしんぶん サイト一時閉鎖中のおしらせ

みなさまへのおわび

MANAのうっかりミスのため「MANAしんぶん」サイト、http://www.manabook.jpのドメイン更新手続きを忘れておりました。現在復旧手続き中ですので、1週間ほどおまちください。

MANA:中島 満

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中村禮子さんからのお便り―「オーストラリア先住民との出会い」

 京都大学、舞鶴の水産実験場には、MANAが長期取材して、聞き書きをした『若狭の漁師、さかなばなし』(貝井春治郎著)を書くときに、ほんとうに頻繁に出入りした。中村泉さんとは、みょうに気があって、先生は僕の取材したり関心を持っていることに興味を持っていただき、研究室にお邪魔して、数時間話をしたあとは、ご自宅におじゃまをして、またしゃべりまくるという繰り返しをしたことがありました。

 そのおり、お世話になったのが、中村先生の奥様の中村禮子さんでした。中村先生が、京都府漁連の機関誌に連載されていた「やさしい魚類学」(現在も掲載中。なんと)を、何とか本にしようと企画し、その足がかりにと、

http://www.manabook.jp/nakamura-izumi-index.htm

こんなページをつくりましたが、いまだ編集者の怠慢によって実現していません。

 そのTOPページに、中村先生が退官後赴任された―チュニジアでの暮らしぶり交遊録をのせた中村禮子さんの「チュニジア便り」

http://www.manabook.jp/reiko-nakamura.htm

をリンクさせて載せてあります。彼女の文才ぶりをしめすエッセイとして、その後もいろいろな方から、このページにアクセスしてお便りを頂戴しました。

 こんな話の経緯はさておきまして、ひさしぶりに、今年になって中村先生ともお会いし、また奥様とも、偶然私の家の近くに住むことになった娘さんの家でお話をする機会ができました。そのときに、奥様の禮子さんから、オーストラリアに調査にいく仕事の話がありまして、そのレポートを書いてみたい、というのです。

 MANAとすれば願ったりかなったりで、名文家の、禮子さんが、また新しい挑戦をして、その鋭い批評精神で書いてくれる文章を楽しみに待つことにしました。

 4月のある日。メールがきました。「舞鶴よりこんにちわ」と、楽しい話題と、オーストラリア調査取材記が添付されていました。

 ブログとしては少々長いので、読みやすいように、5回にわけて掲載します。

 タイトルは「オーストラリア先住民との出会い」です。どんな話なのか、説明はしません。関心のある方はそれぞれの文章から入ってください。

第1回:アボリジニという言葉は使ってはいけない!?

第2回:心の痛みを持ち続ける人々から発した言葉を聞いた

第3回:握手、そして温もりを感じ、心が通じたと思った一瞬だった

第4回:生活習慣病による短命を惹起させたおおもとにあるもの

第5回:「オーストラリアは私の国です」とジョアンさんは話してくれた

中村禮子さんへの連絡がありましたら、MANA宛メールをいただければアドレスをお教えします。また、ご意見などは、ブログに書き込んでください。(MANA:なかじまみつる)

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冬だけど「氷」のドラマ再々放送!!―なぜか「篤姫」と接近

NHK「タイムスクープハンター」「お氷様はかくして運ばれた」が正月の深夜またまた放映されていた

年があけ、4日になって本ブログのアクセス数が200を越え、それが数日続いた。なぜか、アクセスの解析機能で「タイムスーくプハンター」の記事へのアクセスだった。

3日の番組の深夜(放送は4日)2時から、「タイムスクープハンター」が再放送されていたのだ。再放送の二度目だから再々放送ということになる。「加賀さまのお氷」運搬の話だが、タイムスリップして取材に出かける未来記者(タイムスクープハンター)の役が、人気上昇中の「要潤」(かなめじゅん)現象ということもあるけれど、若い人たちの歴史事件を扱う場合でも、どういう映像なら受け入れられるという「つぼ」を押さえた脚本と演出に配役だったからこその反響につながり、3度目の放送になったのであろう。

「氷の文化史」という、氷と人のふれあいの歴史にスポットをあてて記事を書いてきたものとして、これだけの注目をあつめたのは驚きであるとともに、正直とてもうれしい。

「篤姫」原作「天璋院篤姫」に描かれた「加賀さまの献上氷」

 おなじ「氷」つながりで、この正月にNHK大河どらま「篤姫」原作の「天璋院篤姫」宮尾登美子(講談社文庫、上・下)を読んだが、その下巻「和宮降嫁」の章に、江戸城多くの行事として、旧暦6月1日の「加賀さまの氷献上」が載っていた。

Tensyouinatsuhimebunkohyousi  それだけなのだが、それはそれとして原作には、西郷隆盛や大久保利通や小松帯刀らの、テレビでは篤姫との愛情も含めた交友関係が細やかに描かれていた薩摩の人物にほとんどふれられていないことにびっくりした。男の表現で言えば幕末の「傑物」といえるであろう「篤姫」を発掘し、限られた史実をもとに、宮尾流決めの細かな心のひだまで映し出す描写力で記す、純「歴史小説」に仕立ててあることに、うなづきながら一気に上下2冊読んでしまった。篤姫の家定との結婚が、水戸派とくんだ斉彬の徳川政権転覆、政権奪取という遠大な野望に基づくものであったことや、その延長線上に慶喜の行動が斉彬死後も続いていたこと、そして、篤姫が慶喜を一度接見したときに見抜いた邪悪な心の一面が、やがて家定、家茂の死は慶喜一派の薬殺によるものという断定を下していく。和宮は、本人というよりも付き人たちの行動として、その目論見に加担していたことを見抜いていた篤姫と和宮の確執は、テレビではまったく描かれていなかった。このあたりが、原作と視聴率をねらったテレビの脚色付き演出のちがいなのかと、思った。

ただし、正直なところテレビの「篤姫」も、「チャングム」と同様の関心と感動をしたし、また、原作「天璋院篤姫」もとてもよかった。

 その和宮降嫁の翌年、大奥の6月1日の恒例行事「」加州候よりの献上氷」をめぐって、篤姫付きの女中と、和宮付きの女中との大騒動につながっていく。そのくだりを引用しておく。

 それは六月一日、恒例の加州家より献上の氷室の荷をお広座敷で解くときに起った。
 氷とはいっても、これは雪の塊といったほうよく、加州家ではこの日まで冬の雪を土中に埋めて保存するため、土や塵芥が混って汚なくなっており、例年、きれいなところをほんの少し選って皿に入れ、天璋院にごらんに入れただけでさげ渡されることになっている。
 加賀の国からはるばると江戸まで、中の氷室が解けぬように運ぶのは大げさな荷造りであって、毎年、お広座敷は大へんな騒ぎでこの荷を解くのであった。

 当日は御三の間以下の女中たちが総出であたることになっており、京方、江戸方入り乱れて薦包みをほどいている最中、宮さま付きの女中きみが、天璋院付きのさよに褄を踏まれ、よろけて尻餅をついた。
 口々 にしゃべり合いながらの作業で、さよはそれに気づかず手を動かしているのを、立ち上ったきみは矢庭にその帯を掴んだ。その拍子に帯がゆるんでいたのかたちまち解け、おどろななりのさよを引き据えて、
「ひとを突き飛ばして、ようも平気でおいやす」
 ときみは叫び、それでやめればよいものを、
「こうやよって、江戸方は作法知らずというてるのえ」
 と続け、帯から手を離した拍子に体を振ったきみに煽られ、今度はさよが畳の上に転がってしまった。
 こうなると江戸方が黙っているわけはなく、さよが帯をひきずったまま怒りの形相で詰め寄るのへ応援団は続々増え、京方はまたきみの味方をして一団となり、氷室の薦包みを中にして両者にらみあう形となった。
 このなかで、お広座敷の頭をやっているさきが江戸方をかぼって京方に向い、

「京方の皆さんは少々お考え違いをなすっておいで遊ばすのと違いますか。そもそもこの氷室は、若御台さまにいちばん先に献上すべく、我々がお手伝いしてさし上げているのですぞ。お礼をいうてもらうのが当り前でありこそすれ、帯を取って引き据えられるようなむごい仕打ちを受ける覚えは当方にはございませぬ。
場合によっては捨ておきませぬぞ」
 と声を荒らげるのへ、きみは衣紋をつくろいながら立ち向い

…以下略(宮尾登美子著『天璋院篤姫』下巻「降嫁」164p~166pより)

新年早々、「タイムスクープハンター」の再々放映と「天璋院篤姫」の小説に記された、「加賀さまの献上氷」が遭遇した。真冬なのに、夏の氷の話題でした。

MANA・なかじまみつる

MANAしんぶん「氷の文化史」サイト目次:

http://www.manabook.jp/essay-icemanlibrary-index.htm

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新刊案内『静岡新聞に見る静岡県昭和水産史』

MANABOOK:2008年12月10日発行:好評発売中

静岡新聞に見る静岡県昭和水産史

Syouwasuisansi2satugazou_2幡谷雅之著偏 まな出版企画刊

◇A4判並製・カバー・772頁[本体価格4000円+税]

ISBN978-4-944114-10-8 C0062 \4000E

◇本書の特徴

○……激動する昭和の“水産静岡”を新聞記事タイトルから切り取った異色の水産史誕生!!

○……戦中戦後の混乱期から漁場拡大・技術革新期を経て発展してきた頼もしい“水産静岡”!!

○……その裏には第5福竜丸ビキニ被爆、多くの漁船遭難、公害被害などの悲しい歴史も!!

○……水産行政から漁業~養殖~加工~遊漁~料理、そしてB級記事に至るまで、水産関連の全記事を採録!!

◇本書の購入方法

★本書は、自費出版物のため一般書店ではご購入できません(但し、静岡県内では、「戸田書店静岡呉服町店」および清水の「東海大海洋学部売店」にて扱っています)。
★ご購入希望者は、まな出版企画まで、メールあるいはファックスにて冊数を書いてお申し込みください。
★送料はかかりません。発送元が負担します。

まな出版企画 〒165-0025 東京都中野区沼袋1-5-4 FAX03-3319-3137

メール:こちらまでお送りください。

続きを読む "新刊案内『静岡新聞に見る静岡県昭和水産史』"

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謹賀新年 2008年子年

今年も宜しくお願いいたします。

ホームページ「MANAしんぶん」及び、ブログ版[季刊里海]通信と連携しながら、雑魚学:ザッコロジーの好奇心を発揮しつつ小文やゲンナマ史資料を公開していきたいと考えております。ご批判ご叱正を甘んじて受けつつ、できるだけ、どこにものせていないテーマやテキストデータを載せていく所存であります。

昨年後半から最近にかけてMANAが書いたり編集構成した文章は次のとおりです。そのサイトへのリンクやPDFにしておきましたので、関心のあるかたは、チェックやダウンロードしてご覧ください。

(1)昨年10月末に、鎌倉円覚寺系列寺院「白雲庵」開祖である東明慧日とうみんえにち禅師の小伝「東明慧日禅師の大きな足跡」(PDF・見開き17ページ)をまとめました。これまで、ちか寄りがたい世界であった「中世」「鎌倉時代」でしたが、鎌倉幕府執権、北条貞時によって中国から招請された曹洞宗宏智派禅僧、東明慧日(1272~1340)の行跡、思想をまとめた文章です。日本に禅宗の一派であった曹洞宗をはじめてもたらしたのは道元であることは、広く知られていますが、その第二番目に伝えた禅僧・東明慧日について知っている人はほとんどいないでしょう。どのような人物であったのでしょうか。東明慧日が渡来した1300年代にさかのぼって、これまでの研究成果を中心に小伝としてまとめたものです。MANAにとっては、日本の漁業史に新風を吹き込んでくれた網野善彦の文章を何冊も読んできましたが、網野史学の骨格を構成していながら、なかなか理解のできなかった、中世史や近隣国との関係史を理解していくための基礎文献を読みこなしていくよい機会になりました。蒙古襲来や中世民衆の暮らしぶりなどについて、文献〝好奇心〟を持って読みこなせる基礎的な時代背景が醸成できたような気がします。

(2)昨年末に、「海洋基本法ってどんな法律なの?」(PDF:8ページ)を、漁協経営センター刊「月刊 漁業と漁協」2007年11月号にのせました。昨年4月通常国会で成立した「海洋基本法」は、「成立して当たり前」(読売・産経・毎日など各紙)というような、国民にとって必須不可欠な法律なのであろうか、無批判に受容歓迎する風潮への疑問とその問題点を、[ブログ版里海通信]の「海洋基本法を考える」で整理してきました。成立後、半年を経ての法PRや制定を歓迎するシンポジウムを聞いたうえで、ダイジェストにまとめてみたものです。もうすぐ同法に基づく「海洋基本計画」が策定されることになりますので、参考にしていただければと思います。ブログ「海洋基本法を考える:目次」からも入れるようになっています。

(3)季刊里海]通信メモ:「東京湾漁場図」制作者・泉水宗助を探せメモ(2007年3月9日平成18年度第4回東京湾アマモ場・浅海域再生勉強会にあたって)(PDF:3ページ)

(4)MANAインタビュー(「漁協の共済」リレートーク再録)より

○その1(07年2月):〝エコラベル〟をもっと知ろう:話す人:アミタ㈱ 持続可能研究所主任研究員・田村典江さん(PDF:5ページ)

○その2(07年4月):里海は「五大力船ごだいりきぶね」に乗って:話す人:木更津市NPO法人盤州里海の会理事長・金萬智男さん&JF金田地区組合員総代・NPO法人盤州里海の会監事・実形博行さん(PDF5ページ)

○その3(07年6月):もっと地域社会に開いていこう:これからの漁村・漁協がむかうかたちとは?:話す人:北海道大学観光学高等研究センター教授・敷田麻実さん(PDF:4ページ)

○その4(07年8月):漁業現場に活かせる保険医学を求めて:JF共水連嘱託医・産業医、えとう内科クリニック院長・江藤誠司さん

○その5(07年10月):TV番組作りは漁業と同じだ:NHK6月放送「里海の四季」担当ディレクター 宮原秀之氏さん

○その6(07年12月):漁の現場で食育ワークショップ:食環境ジャーナリスト・金丸弘美さん

(5)千魚の眼―魚へん歳時記というエセイを2008年1月から「水産界」という雑誌で書き始めました。「千魚の眼」についてのゴタクは、里海通信「謹賀新年その2」に書いておきました。PDFでも読めるようにしておきました。

○第1回(08年1月):ゴマメ、鱓、小万米(PDF2ページ)

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水産基本法と海洋基本法

「人間中心主義」か「生態系中心主義」かの視点

 [季刊里海]通信のブログのほうで、新年冒頭メモで書いた、「今、なぜ海洋基本法なのか?」へのアクセスすが1日100件ぐらいに増えています。けっこう関心あるんだなあと言う印象ですが、ぼくがPCにファイルしてある、ネット公開資料のストックの中に、おもしろい国会審議上で繰り広げられた国会議員の意見交換があるので、引用しておきましょう。

 この記述は、第151回国会の農林水産委員会議事録「第15号―2001年・平成13年5月29日」で公開されているものですが、海の保全を考える時に、「人間中心主義」か「生物多様性を柱にした生態系中心主義」かの調整というテーマをも含めて発言しているなど、現在の一般的な人々の海を考えようとする時の視点を表現していておもしろいと思ったので載せてみました。これは、国益論ではない、もう一つの環境論からアプローチした海洋基本法を志向する考え方ともいえるでしょう。

○佐藤(謙)委員 農業には、開発から身を守る仕組みというのが、今いろいろと社会的にあるんですが、どうも漁業と森林・林業は、まさに開発にさらされてしまう。だからこそ、今、森は海の恋人、川はその仲人と言われた、気仙沼の畠山さんが始めたああした運動が全国的に展開をされる。
 そして、私も、水俣に行ったときに、水俣病で本当に人生を棒に振ってしまった、結婚もできずに、家族にも死なれ、たった一人で、今、小学生を相手に一生懸命水俣病のことを話をし、そして毎朝シラスの漁に出ている女性の方にお目にかかった。本当に、苦しみや怨念を超えて、仏様のようなすばらしい顔をされておられたんですが、その彼女も一言、不知火を昔のようなすばらしい海に戻したい、そのために、佐藤さん、一緒に山を大切にしましょう、山から始めたい、山にある、森林にあるフルボ酸鉄というものが結局植物プランクトンを育て、そして食物連鎖ですばらしい豊穣の海をつくっていくんだ、そうしたお話を聞けば聞くほど、今我々がどういう仕組みをつくっていくかというのは非常に大事なときなんだろうと思うんです。
 私は、一つ、化学物質の問題で、いろいろと法律をつくってきたりしましたけれども、その中で、ある市民運動の方がこういうことを言われたときに頭を殴られたような思いをしたんです。それは魚とPCBの問題で、我々人間はダイオキシンの九割が口から入る、そのうちの七割が日本の場合は魚からと言われて、魚の、食の安全性というのは非常に大切だということを我々は肝に銘じたわけです。魚の汚染というとすぐ、佐藤さん、あなたは、我々人間が食べて、そして体にどういう不都合があるか、健康を害するかということばかりを考える、それは本当の意味では人間中心主義だ、魚が侵されている、そういう現実に目を当てなければ、この問題は解決しないんだよと。魚に蓄積された化学物質を人間がどれだけとるかではなくて、魚がどれだけ蓄積してしまっているかというところから視点を当てなければいけないと。
 まさに、この水産基本法の一連の議論でどうもかみ合わないその議論の根本は、人間中心主義かあるいは生物多様性を柱とした生態系中心主義かの、そのミスマッチがそのままあらわれてきたような気がしてならないんです。保全は一切自然に手をつけない、そういう誤解からスタートする。調和というのはいい状態にするんだということで、調和の方がはるかに重い大きな概念だと言われてしまうと、そこで話はストップしてしまう。
 あくまでも、水産というのはやはり人間が主語、我々の事業が主語なんです。そうじゃなくて、我々も自然の中で生かされているという、先ほど、謙虚な気持ちを大臣は持っておられるわけですから、そうした大臣の謙虚な気持ちをそのまま法律や日本の社会の仕組みに、今の大臣だったらそれができる立場におありなんですから、やっていただきたいと思うんです。
 例えば、栽培養殖漁業の危機が言われています。一九九六年に、熊本県の天草でアコヤガイの被害が起きました。そうした被害を中心に、今養殖漁業の危機が言われています。ホルマリン漬けのトラフグですとかあるいはヒラメ、今、そうしたものが給餌養殖としてどんどん広がりを見せているわけですけれども、そうした安易な化学物質を使う漁業というものを、とる漁業からつくり育てる漁業という名のもとに野放しにしてしまって、都市生活者がそのままわかったと言ってくれる時代が来るのかというと、私は来ないというふうに考えています。
 そこで、この養殖漁業については、一九九九年、おととし、持続的養殖生産確保法というのができたわけですけれども、この持続的養殖生産確保法、この目的を見て僕は唖然としたんです。実は、私、このとき農水委員会に所属していなかったので。この目的の中で、「特定の養殖水産動植物の伝染性疾病のまん延の防止のための措置を講ずることにより、持続的な養殖生産の確保を図り、もって養殖業の発展と水産物の供給の安定に資することを目的とする。」つまり、事業者、供給者からの視点だけででき上がっている法律。
 これは、この法律の性格上やむを得ないかもしれないわけですけれども、消費者の食の安全、さらには化学物質に対して、水産業という一つの業の中でどういうふうにこれから扱っていくのかということは、私は、非常に大きなテーマなんだろう、それこそが、人間中心主義なのか、生物多様性を柱にした生態系中心主義なのかを大きく左右する、まさに岐路に立っているときだろうと思います。
 こうした問題についてどういうふうにお考えでしょうか。

○武部国務大臣 私は、人間も自然界の一員だ、こう思っておりまして、今先生の御指摘の点については、相対立する関係ではない、かように思っております。
 いずれにいたしましても、さまざまな人間活動による自然環境への負荷が非常に大きくなっているということは非常に大きな問題でありまして、先ほども申し上げましたように、自然の恵みに感謝するとともに、自然を恐れる謙虚な気持ちを持つことが、生産者も、食品加工業者も、また消費者も、これを原点として考えていかなければならない、かように思っております。
 有明の問題についても、私が先般、お互いまず自分の足元を見詰め直してくださいということを申し上げましたのも、私は、酸処理剤の使用の問題のビデオなども見ましたけれども、結果的には自分で自分の首を絞めるようなことにならないように、そういう意味では、何事も法で規制するとかそういうことではなくして、その原点を考えればきちっとした対応ができるのではないか、このように考えております。行政の面でも、そういう考えを前提に今後の対応を、しっかり適切なやり方をやっていかなきゃいけない、このように思っております。
 私は、そういう意味では、対立する関係ではないけれども、先生の御指摘というのは非常に重要な御指摘だ、かように受けとめております。

○佐藤(謙)委員 どうもありがとうございます。
 最後の質問になると思うんですけれども、今、感謝と謙虚という言葉を出していただきました。それに対して私は感謝を申し上げたいと思うんですが、海洋資源という言葉自身に、人間にとってのみ有用であるというそうした傲慢さ、そうした考え方から解放されなければいけないんじゃないかということを考えると、水産基本法を初めとした関係諸法はそれはそれとして、それをもう一つ大きく包括する、先日の参考人質疑で、東京水産大学の多屋先生でしたかお話がありました、海洋基本法がもう一つ大きい問題としてあるのではないかと。私は、海洋保全法というようなイメージでいいのではないかなというふうに思っているわけです。
 要は、海全体の生産力をどうふやすか。その中で、漁業者はどういう役割を演じ、国民はどういう役割を演じ、そしてその中でどれだけの分け前を我々がもらい、次の世代にバトンタッチをしていくのか。そうしたことを大所高所から議論をする時代というふうに私は申し上げましたけれども、まさに、海洋における生物多様性というのは、実は盛んに条約に加盟はしたのですけれども、今、そうした目的を施行する国内法というのがないのですね。今すがっている法律は何かというと、まさに水産庁が所管をしている漁場保全だとか、水産資源の保護というところしかない。やはりこの法律のさらに包括的に大きな海洋保全という問題を考えると、海洋保全法あるいは海洋基本法をつくるべきだと私は思います。
 そして大臣は、これは所管ではないのかもしれませんけれども、今までのこうした議論の中から、最後に前向きな御発言をいただければと期待を申し上げます。

○武部国務大臣 ここ数年ですよね。環境修復型の公共事業、そういう問題が提起されたり、人と自然との共生ということが大きなテーマになってきたというのも、これが具体的に国民レベルで関心が高まってきたというのは、私の認識ではここ数年ではないか、かように思います。これは、急速に高まっていくだろうと思います。
 そういう意味では、こういう議論というものをどんどん盛んにしていくというようなことが大前提であって、現時点においては、前向きな答弁がなかなかできないということでおしかりを受けるかもしれませんけれども、議論が成熟しているとは思わない。議論が緒についたと。これはやはりもっと、これは農林水産省の所管ではないかもしれませんけれども、それは私どもの所管ではありませんということではなくして、私どもの方からむしろ積極的に問題提起を掲げて、そして国民的なレベルで、今先生の御指摘のような議論を盛んに高めていく必要があるのではないか、そういうことを前提に、いずれ将来立法ということも俎上に上がってくるのかな、そういうような印象を私は持っている次第でございます。

○佐藤(謙)委員 武部大臣の誠実なお人柄に期待をして、質問を終わらせていただきます。

MANA(なかじまみつる)

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「生ける法の研究」を検索すると……

検索システムの相性をチェックする

このところ、とくにPRもしていない本ブログが、これまで1日数件だったアクセスが急に30件とか、そういう数が記録残るのでログをチェックしながらあることに気づきました。

「ローカルルールの研究」をキーワードにすれば、わたしが日常使っているGoogleの検索でトップにヒットします。「ローカルルール」をキーワードにして検索すると、同じGoogleの場合、トップには「地域に応じた構造基準の見直し(ローカルルールの導入)」がヒットし、「ローカルルールの研究」は、現在は、だいたい45番目ぐらいにランクされています。

 わたしとしては「ローカルルール」という概念が、マージャンやゴルフの「地域(田舎)ルール」として一般的に使われるのではなく、この前ノメモに書いたとおり英訳でいう「ローカル・インスティチューション」local institution の意味でもっと行政や地方自治や社会学・経済学や漁業経済研究者に使われるようになればいいなあと夢想しているのですが、それにはだいぶ時間がかかりそうだなあというぐらいの気持ちが正直なところです。

 ようするに、Googleで「ローカルルール」のキーワードで「ローカルルールの研究」が1位でヒットするには、まだ時間がかかりそうだとおもっていました。

 ところが、これまで試したことがない別の検索システムを使うと、「ローカルルールの研究」が1位にヒットすることに気づいたのです。

 そのシステムは同じGoogle系でもマイクロソフト社のMSNサーチを使って「ローカルルール」を検索すると「ローカルルールの研究」が1位でヒットすることがわかりました。検索システムの構造をよくしっている人にとっては当たり前のことかもしれませんが、コンピュータ知識音痴のわたしからすると実に驚きです。

 さらにびっくりしたことは、なぜこのブログ(Blog版『MANAしんぶん』)のアクセス数が急増した理由に、ログの解読をしていたとき、このブログを読んでいただいた方が、「生ける法の研究」をキーワードにして検索をかけて、訪ねてくれたことがわかったことです。

 同じMSNサーチを使って「生ける法の研究」をキーワードにして検索をすると、なんと「ローカルルールの研究」が1位でヒットしました。いい気になって「生ける法」で検索すると、こんどは、MANAがパワーポイントで制作した「生ける法とローカルルールの研究の模式図」が1位でヒットするではないか。

「生ける法」は、法学研究者にとって、基礎的専門用語で、いろいろな論文、サイトにこの言葉が使われているはずですが、そのサイトのトップにあがるということは意外であったし、また、検索システムの使い方(=評価)を見直さなければいけないと感じた次第です。

MANA記

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「ローカルルール」と「海の守り人」の英語表記について

「ローカルルール」の英訳(英語表記)について

 MANAの漁業権について情報を交換をしている沖縄大学のU先生より、ある日、浜本幸生編著「海の『守り人』論」を英語で表記する場合の訳語はあるのかという問い合わせを受けた。ぼくが、本の編集をするために「もりびと」MORIBITOの言葉にたどり着くまでには200ぐらいのコピーをメモがきしてみて一番しっくりしていたのが、海を生計の糧をうる場に働く海沿いに住む人々であって、漁村、漁協の構成員である人のことを、“漁業権”という権利を保持し、海を自主的に管理・利用してきた長い歴史を背景とした、「海を守る人」=海の「守り人」MORIBITOということばだった。

 当初は、拙い英語の知識を辞書をひっくり返しながら、management、control、administrationやprotectあるいはkeepなどの経営・取締り・管理と「守る」という言葉をひろっていたのだが、ヨーロッパの荘園や城の管理を任せられた人のことを“servant”ということを書いた辞書があり、イメージとしてはサーバントを想定して、守り人という言葉にしようと、きめたような気がする。

 ただ、まったくの当て字の感覚であり、サーバントが、盲目的な官吏や、奴隷を意味する言葉であり、keeperもprotectorもあまりに直訳過ぎていることもあって、ズバリふさわしい言葉とはおもっていなかった。

 調度良い機会であったので、友人で、中近世ヨーロッパの経済史や文化史に詳しく、日本の漁業権制度についても研究をしている、ボン大学の日本文化研究所研究員で日本民族学博物館で日本文化史と漁村社会研究を続けていたヨハネス・ハルミ・ウィルヘルムさん(現・秋田大学講師)に次の質問をして、適切な訳語を聞いてみることにした。

《「海の『守り人』」を英語でどのように翻訳するのが良いでしょうか。知り合いの先生は、「Keeper of The Sea」ではどうか、ということでしたが、ヨハネスさんならどうなるでしょうか。ちなみに、僕が、「UMI―NO―MORIBITO」をイメージしたのは、「漁業権をもち、漁業・漁猟という職業を生業としながら、漁村というコミュニティーの一構成員として、地域共同体である漁村の地先の海の資源や海岸を、国民との信頼関係をベースにして、管理している人」というようなことから考えたものです。簡単にいえば、「国民の共有財産である海の資源を維持管理できる立場にある海沿いのムラに住む人々」とでもいうのでしょうか。いい知恵を授けてください。》

と聞きましたら、次のような返事をもらいました。

《さて、守人ですが、簡単にprotectorが適当だと思います。応用しますとMarineProtector(海の守人)やMarine Protector Theory(海の守人論)になります。
他にprotector of the seaも考えられると思います。》

なるほど、なるほど。上記のウイルヘルムさんの返事を、小生の回答として、U先生に返事を差し上げたのでした。

               

 ところが、その後「ローカルルールの研究―海の『守り人』論2」(2006年)の書名英語表記についても教えてもらいましたら、上記の「Protector」というより「Stewardship」が適切であると修正することをヨハネスさんから提案され、次のようにきめました。

  • Japanese Title“海の『守り人』論”:“Umi-no-Moribito-Ron” 
  • English Title “The Theory on Marine Stewardship”,published in 1996,by Mana-shuppan-kikaku,Japan:ISBN4-944114-02-8 C0062

              **

 たしかに、「プロテクター」では、海上保安庁の「海守」という感じで、海の『守り人』論の254ページでショート・ケビンさんも話している「Stewardship」(スチュワードシップ:直訳すれば「管理」ですが森番のような森や環境を管理する人・番人という意味から海の番人というようにも使えそうですね)を採用することにしました。

             ***

 ところで、2006年に発行した「ローカルルールの研究―海の『守り人』論2」の書名英語表記についてもヨハネスさんにおねがいしたら、ローカルルールについては「institutions」(辞書:制度・慣例)を使い、「ローカル・インスティチューション」が適当だろうとして、次のようにきめました。

「ローカルルールの研究―海の『守り人』論2」の英語表記:

Studies on local institutions in coastal fisheries: The Theory on Marine Stewardship Revisited

 上記を、以後、海の『守り人』論及び、 「海の守り人」および「ローカルルールの研究」および「ローカルルール」の英語名とします。英語音痴にはとても選べない英語の表記で、海の『守り人』論パート2についても「Revisited」とするなど、なかなかかっこいいタイトルになりました。「The」か「A」はどっちが適切かきめかねるということです。

BY MANA(なかじまみつる)

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「ローカルルールの研究」発行しました

新刊の紹介 その1

里海叢書1 海の『守り人』論2
ローカルルールの研究
―ダイビングスポット裁判の検証から―
佐竹五六・池田恒男他著

2006年6月12日発行
A5判並製424頁
定価[本体5000円+税]

○海や川はだれのものだろう?
○海や川や湖=水系の管理主体はだれが担うのが良いのか?
○「入会(いりあい)」や「総有(そうゆう)」って「共有」とはどう違うの?

 海の『守り人』論で展開した漁業権や地先権の役割を、さらに現代の地方の時代というテーマをふまえ一歩進めて「ローカルルール」の考え方を提案します。
 海や水辺の利用と管理のメカニズムを「漁業(生業)的利用」「入会的利用」(農林漁業という産業としての暮らし)システムと「市民的利用」(人々の海・森・山・川へのアクセス)がおりあいを付けながら自治的に地域社会のルールを作り上げている実例をダイビングスポット訴訟という10年間続いた裁判判例と漁業権・入会権の成立過程の検討を加え導き出した。なぜ「漁協勝訴」なのか、その司法判断が導き出される過程の解明により、里海・里山利用やまちづくり、環境行政等にも影響をあたえるかもしれない斬新な実践論の書として読んでもらえれば著者一同の本望です。

◎掲載内容(目次)◎

Ⅰ 論文集

第1章 佐竹五六 総論

1-地先海面のレジャー利用をめぐる紛争と漁業法

  • ①問題の所在/②「法」ないし「権利」の観念が持つ二つの側面―実定法上の権利と現実に人々の意識を支配し、行動を規律している「社会的ルール」上の「権利」/②明治漁業法下における「実定法上の漁業権」と「生ける法上の漁業権」のギャップ―漁業法におけるギャップは何故発生したか―/④当面する課題と沿岸漁業を取り巻く社会的経済的環境/⑤如何に対応すべきか

2-書評「海の『守り人』論」を読む

3-共同漁業権は「入会の性質を失った」のか

第2章 池田恒男 判例評釈

  1. 共同漁業権を有する漁業協同組合が漁業権設定海域でダイビングするダイバーから半強制的に徴収する潜水料の法的根拠の有無(東京高判平8・10・28)(大瀬崎ダイビングスポット訴訟・東京高裁判決評釈)
  2. 共同漁業権を有する漁業協同組合が漁業権設定海域で潜水を楽しむダイバーから徴収する潜水料の法的根拠の有無(大瀬崎ダイビングスポット訴訟・上告審判決及び差戻し控訴審判決評釈)

第3章 田中克哲 マリンレジャーとローカルルール―DS訴訟事件

第4章 池俊介・有賀さつき 伊豆半島大瀬崎におけるダイビング観光地の発展

第5章 上田不二夫 宮古島ダイビング事件訴訟

第6章 浜本幸生 補論

 ①渡船業者及びダイビング事業者と漁協との紛争にかかる判例
 ②漁業権消滅後の漁場に生じている事態

Ⅱ 判決・資料集


(1)~(5)大瀬崎DS裁判―静岡地裁沼津支部判決(一審)/東京高裁判決(控訴審)/最高裁控訴審上告理由書/最高裁判決/東京高裁判決(差戻審=結審)
(6)~(9)沖縄伊良部島D裁判―那覇地裁平良支部判決(一次訴訟)/那覇地裁平良支部判決(二次訴訟)/福岡高裁那覇支部判決(二次訴訟控訴審)/最高裁判決(二次訴訟結審)

あとがき 中島満―徳島牟岐・和歌山すさみ・岩手県宿戸・東京湾お台場の事例から

○著者の現在所属
佐竹五六(全国遊漁船業協会会長・元水産庁長官)/池田恒男(龍谷大学法学部教授。元東京都立大学法学部教授)
上田不二夫(沖縄大学法経学部教授)/田中克哲(ふるさと東京を考える実行委員会事務局長)/池 俊介(早稲田大学教授・元静岡大学教育学部教授)/有賀さつき(静岡大学教育学部卒)/浜本幸生(故人・元水産庁漁業法制担当官)/中島満(ライター・漁業史研究家・季刊里海編集同人)

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