『有明海』ワラスボ漁の写真、「ザ!鉄腕!DASH!」で流れる

ドウキン掻き:懐かしいなあこの写真!Ariakekaiwarasubo62pmigi

日本テレビの「ザ!鉄腕!DASH!」2009年6月14日午後7時からの番組で、当社刊行の『有明海』富永健司写真著(1996年)より「ワラスボ漁」の写真が使用されました。

その土地の様子や郷土料理を体験映像を踏まえて放送する番組で、使用を連絡を受け、富永健司さんの了解の上、了承しました。放送は見ていないのでわからないが、たぶん、60~62ページの「ドウキン掻き」であろう。担当の渡辺さんからの「素材使用申請書」では、この日のテーマは「ご当地調味料を探せ」。ワラスボ掻きをTOKIOのメンバーが体験し、ワラスボや干したワラスボを調味料にした料理を食べている映像が流されたのであろうか。見ておけばよかった。

60ページの「ドウキン掻き」の写真の絵トキには、「藁素坊(ワラスボ)のことをこの地方ではドウキンまたはドウキュウとよぶ。干潟にはカニ穴、ムツ穴、ハゼ穴、アゲマキの穴などがあるが、慣れるとそれらの穴の見分けがつくという。三指の銛を外側に曲げた掻き棒で穴とと穴の中間を掻く。」とある。

Ariakekaiwarasubokagehosi61pmigi また、61ページの「陰干しされるドウキン」(写真下)には「酒肴品として珍重される。ふつうはミソ汁に入れたり、ミソ煮にする。冬から春さきにかけて脂がのってうまい。藁素坊は成長すると潟中に棲息。眼は退化しており、歯は上下とも牙様で、二枚貝のアゲマキなどを殻ごと食べる。鯛に恋してふられ、面相がさらに悪くなった、との話しが各地に残る。」とある。右上の写真上(下)のワラスボのイラストは、魚類学者としての山下弘文さんが描いたものである。山下さんが生きておられたら、「歴史」は変わっていたかもしれない、なんて……ふと思っちゃうなあ。

MANA(なかじまみつる)

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松江鱸魚(2)

『私の魚博物誌』内田恵太郎著(1979年)239~240pより

魚のいわゆる「博物誌」や「エッセイ」の本のなかで、木村重「魚紳士録」とならんで珠玉の書であろう。田中茂穂の『食用魚の味と栄養』などの諸作とどうよう、専門の魚類・動物学・分類学を背景として、専門外の教養の学の範囲を超えた質を、フィールドワークによる経験知を交えて現代に伝えてくれる。実はこの種の本は、意外と少ないのである。

○松江鱸魚(しょうこうのろぎょ)備忘資料。以下引用原文。

鱸 スズキと松江鱸魚

 晋の張翰(ちょうかん)が官途について都にいたとき、秋風が起こるのをみて急に揚子江下流の故郷呉の地のジュンサイの吸物と鱸魚のナマスの味を思い出し、官を辞して故郷に帰ってしまったという故事は、名利を卑しんで情節を尊ぶ中国の思想にかなったものとみえ、以来、「秋風鱸魚鱠」という意味の詩句はあげきれないくらい多い。この鱸は日本のスズキと同一種で、漢字魚名が両国同一種を指す少ない例のひとつである。白鱸、銀鱸という用例も同じくスズキを指している。

 スズキはスズキ科に属する沿岸魚で、日本全国、朝鮮、中国に広く分布する。海で産卵する海魚ではあるが、餌となる魚を求めて川に入り、水量の多い大河をかなり上流までのぼるので、川で漁獲されることも多い。したがって、中国の詩文に出て来るスズキはほとんど川魚として扱われている。

 さて、ここに松江鱸魚という魚がある。蘇東彼の『後赤壁賦』の「薄暮網をあげて魚を得たり。巨口細燐、かたち松江之鱸のごとし」という句で有名であるが、網でとれた魚は松江の鱸に似ていたというのだから、松江の鱸そのものであったか、似てはいるが別の魚であったかその辺のことははっきりしない。ただ、揚子江産で、スズキに似た別の魚というのはちょっと思い出せない。松江は揚子江下流の地で、古来スズキの名産地である。

 ところで、中国で現在松江鱸魚と呼んでいるのは、スズキとはまったく違う別の魚で、四鰓鱸ともいう。冬至の前後産卵前の腹に卵のある季節がもっとも美味で、鍋料理が名物である。この魚はドンコのほおにトゲをはやしたような姿をしていて、大きさは十五センチぐらい、やや黄色みを帯びた褐色で暗褐色の雲形の斑紋がある。口は大きいがウロコはない。とれは、カジカ科に属するヤマノカミという魚で、日本では九州有明海に注ぐ筑後川、矢部川の下流にだけ分布する特産魚だが、朝鮮、中国にはかなり広く分布する。日木産の魚でこれに近いものに、川魚のカジカカとカマキリがある。カジカは石川県金沢の名物ゴリ料理の主体になっているマゴリであり、カマキリは福井県九頭竜川の名産として福井のアラレガコ料理の主体アラレガコである。両種とも日本国内の分布はかなり広い。筑後川のヤマノカミ(土地ではヤマンカミという)は雑魚として土地のものが知っているだけで、まったく利用されていない。松江鱸魚そのものであるから、久留米あたりの名物料理にしてもよさそうなものだ。もっともあまり多くはとれないが……。

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うしぬすっと

年頭丑魚尽くし「うしぬすっと」

 あけましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願いいたします。毎年恒例の年頭の干支魚エッセイをご披露いたします。

 干支「牛・丑」にちなむ魚の名称がどのくらいあるだろうか。思いつくままにあげてみよう。

Uosinusuttokinmouzui_2   ウシノシタは、牛舌魚と書いてウシノシタカレイ、クツゾコ、シタヒラメのこと。靴底、牛の舌といい、どんな魚かすぐ連想がつく。クツゾコは有明海の特産、シタビラメといえばフランス料理の高級素材となる。
 ドジョウをウシドジョウともいう。ウシサワラは、全長2メートルにもなる大型のサワラの一種。オキサワラということもある。味は大味のため商品性は劣る。漢字では「牛馬鮫」。なんという複雑な表現であろうか。

 ゴンズイは、権瑞と書くのが普通のようだが、「牛頭=ごず」からの転化という説もある。牛の頭をした地獄の怪物が牛頭。牛頭馬頭(ごずめず)という馬の顔をした化け物と一対でもののけとなって人間と付き合いをする。背鰭と胸鰭に毒を発する棘(とげ)を持ち、形態もさることながら、棘に触ると腫れるなど毒魚のイメージも、牛頭魚と呼ぶ起源かもしれない。
 このほか、ウシはつかないが、その姿形から漢字をあてて牛尾魚(あるいは牛魚)がコチ、エイの仲間(いずれも細くて長い尻尾状の形をしている)というのも納得がゆく。
 さらにコイ科の淡水魚ウシモッゴなど探せばもっとでてくるだろうが、極めつきの「牛」つき魚名は、なんといっても「ウシヌスット」である。

 「牛盗人」とは、なんとも物騒というか、ユーモラスな名を付けたものだ。ウシザワラやゴンズイの場合もそうだが、牛や馬という名前が俗称に付くと、のっそり、どんちょう、ばかでかいなどなど、あんまりほめられたいいかたにはならないようである。
 ウシヌスットとはどんな魚なのだろう。

 なんのことはない、子供時代に川遊びの相手をしてくれたドンコのことであった。ハゼ科のカワアナゴ、ドンコ、およびカジカ科のカジカを混称して「ドンコ」と呼んでいるが、このなんともユニークな名前が和歌山、岡山における地方名になっていたのである。

 ドンコは、漢字で書けば杜父魚、鈍甲、鈍魚となる。ドンコの同名異称に、ドロボオとする(琵琶湖周辺)呼び方があったり、まったく種は異なるカジカにも地方名で共有したりする。
 数年前仙台に、ハゼのジュズコ釣りという鈎を使わずに釣り上げる漁法を取材したことがある。ゴカイを糸でとおしてリング状にすると自然によれて小豆大のコブがいくつもでき、このコブをのみこんだハゼを引き抜く漁師さんのみごとな技に関心した。そのとき仙台ではマハゼをカジカ、カツカと呼ぶことを知った。ジュズコ釣りは、もともとは鰍釣りといっていた。さらに、本命の魚の餌を横取りするダボハゼのことをドロボウカツカともいうそうである。

 ウシヌスビトは、広辞苑では「無口で動作の遅鈍な人」をいうとある。動作や容貌の似ているハゼ科のドンコやカジカ科のカジカなど、マハゼやヨシノボリなど小型のハゼ科の魚たち、さらに小型の低棲性の川魚(カマツカ、ギギなどにも「カジカ」や「ハゼ」の同名異称の方言と共有する名称が多い)たちには、種を分かつ分類の生物学の世界では通用はしないけれども、人々の暮らしや信仰、子供の遊びをとおして、ひとくくりに同名にしてしまうもうひとつの魚の命名の仕方があるようなのだ。

 地方方言の非常に多いこうしたハゼやカジカ、ドンコの類の共通の名前を持つ魚たちを、いっぱひとからげにして「雑魚(ざこ)」と呼ぼう。南方熊楠が、「ドンコの類魚方言に関する薮君の疑問に問う」という小文のなかで、地方名が同名ゆえに同類に分類した魚類学者の混乱ぶりを嘆いている。南方は、生物学上の分類のためには、人と魚の触れ合いから生じて同名にくくった世界の理解をも必要とするというようなことをいいたかったのかもしれない。こんな魚の理解の仕方を「ザッコロジー」とでも呼ぼうか。

 リバーブルヘッドは、イギリスでカジカのことだが、「川牛頭」、これも干支の魚名に加えてもいいようである。

 注記:だいぶ前に、名前を忘れたPR雑誌に投稿をした原稿に若干手を入れて再録する。ほとんど未発表の文章と同じなので、2009年の年頭サカナエッセイとして載せておくことにしよう。それにしても、もう干支を一巡してしまったことになる。

注:画像は「訓蒙図彙」巻之十四、龍魚より

(C)MANA・なかじまみつる(中島 満)

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日東魚譜について

「日東魚譜」(神田玄泉著編)写本の蔵書ライブラリー

○国書総目録:日東魚譜{にっとうぎょふ}〔類〕魚介 〔著〕神田玄泉著編 

〔写〕:写本の所在:

国会(4冊)・国会伊藤(巻一~五、五冊)・国会白井(巻一~七、七冊)(一冊)

内閣(四巻首一巻五冊、二部)(異本、四巻四冊)

静嘉(四巻四冊)

東洋岩崎(四巻四冊)

史料館祭魚洞(二冊)

東博(江戸末期写四巻四冊)

早大(巻一~七、七冊)(巻一・二、二冊)

東大(四巻四冊)

大阪府(一冊)

日比谷加賀(一冊)

岩瀬(三冊)

杏雨(一冊)

[(早→考)](「日東魚譜彩色図入」、一冊)

延岡内藤家(五冊)

(1)国会図書館

①請求記号     特7-197 
タイトル 日東魚譜. 巻1-5/ニットウギョフ/責任表示   神田玄泉/出版者 写 
形態  5冊 ; 27cm/装丁  和装 
注記     印記:白河,桑名,楽亭文庫/注記 伊藤文庫 
個人著者標目 神田/玄泉 ∥カンダ,ゲンセン 
非統制件名  魚介/発行形態コード  0101: 図書 
物理的属性コード     06: 手稿・文書類 
資料内容種別コード     01: 和古書 
校了日 20010331/最終更新 20040404235959/書誌ID  000007311856
②請求記号     139-127 
タイトル     日東魚譜  ニットウギョフ /責任表示     神田玄泉 
出版者  写/形態 4冊 ; 27cm/装丁 和装 
注記     印記:桑名文庫,白河文庫,立教館図書印[ほか] 
個人著者標目     神田/玄泉 ∥カンダ,ゲンセン 
非統制件名  魚介/発行形態コード 0101: 図書/物理的属性コード  06: 手稿・文書類/資料内容種別コード 01: 和古書 
校了日     20010331/最終更新     20040404235959/書誌ID     000007311853
③請求記号     特1-2524 
タイトル     日東魚譜 7巻  ニットウギョフ /責任表示     神田玄泉 
出版者     写/形態     7冊 ; 21cm /装丁     和装 
注記     印記:節斎書庫之印/注記     白井文庫 
個人著者標目     神田/玄泉 ∥カンダ,ゲンセン 
非統制件名     魚介 
発行形態コード     0101: 図書 
物理的属性コード     06: 手稿・文書類 
資料内容種別コード     01: 和古書 
校了日     20010331/最終更新     20040404235959/書誌ID     000007311854 
④請求記号     特1-927 
タイトル     日東魚譜 ニットウギョフ/責任表示     神田玄泉 
出版者     写/形態     1冊 ; 28cm/装丁     和装 
注記     印記:水寺蔵書/注記     白井文庫 
個人著者標目     神田/玄泉 ∥カンダ,ゲンセン 
非統制件名     魚介 
発行形態コード     0101: 図書 
物理的属性コード     06: 手稿・文書類 
資料内容種別コード     01: 和古書 
校了日     20010331/最終更新     20040404235959/書誌ID     000007311855 

(2)国立公文書館(内閣文庫:和書)

①日東魚譜
[請求番号] 197-0106 [人名] 著者:神田玄泉 [数量] 5冊 [書誌事項] その他 ,享保21年/公開   
②日東魚譜
[請求番号] 197-0098 [人名] 著者:神田玄泉 [数量] 4帖/1冊 [書誌事項] 写本 [旧蔵者] 内務省/公開   
③日東魚譜
[請求番号] 197-0105 [人名] 著者:神田玄泉 [数量] 4冊 [書誌事項] 写本 [旧蔵者] 太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局/公開

(3)早稲田大学図書館:古典籍総合データーベース

①日東魚譜[書写資料]卷之[1]-7/神田玄泉 [著]:画像あり
出版事項:写, 嘉永7[1854] 
配架場所:中央4F貴重書庫
請求記号:ニ15 00712 1-7
現況:館内利用のみ
形態:7冊;26cm
注記:書名は卷之7の巻頭による/享保4年序の写本/彩色・朱書入あり/欠損あり/和装/印記:佐野氏藏書記,中川氏藏/中川徳基旧蔵
②日東魚譜[書写資料]卷之1-2/神田玄泉 [著]:画像あり
出版事項:写, [書写年不明]
配架場所:中央 4F古書資料庫
請求記号:ニ15 02216  1-2
現況:館内利用のみ
形態:2冊;24cm
注記:卷之2の目録題:魚譜/元文6年序の写本/和装

(4)北海道大学付属図書館http://www.lib.hokudai.ac.jp/

ニットウ ギョフ/日東魚譜 / 神田玄泉撰集
出版者 [出版地不明] : [風民堂]
出版年 享保21序 [1736]
大きさ 5冊 ; 27cm
一般注記 著者「神田玄泉」の読みは確定していません
和装, 袋綴
著者標目 神田, 玄泉 <カンダ, ゲンセン>
件 名 NDLSH:魚 -- 図集
コード類 書誌ID=20839669 NCID=BA47249640
------------------------------------------------------------------
巻 次 所在場所 請求記号 資料番号 状 態 コメント 刷 年
首卷 本館・札幌農学校(貴重資料室) 639/KAN 0010048486/1736
卷之1 本館・札幌農学校(貴重資料室) 639/KAN 0010048497/1736
卷之2 本館・札幌農学校(貴重資料室) 639/KAN 0010048500/1736
卷之3 本館・札幌農学校(貴重資料室) 639/KAN 0010048511/1736
卷之4 本館・札幌農学校(貴重資料室) 639/KAN 0010048522/1736

(5)國學院大學

標目書名: 日東魚譜(にっとうぎょふ), H
記載著者名: 神田玄泉, 著
刊写の別: 写
形態: 2冊,24cm
所蔵者: 国学院大梧陰,  491, K
目録分類: 和書‐自然科学
参照番号: 1593186, 398, 000293001

(6)佐賀県立図書館

標目書名: 日東魚譜(にっとうぎょふ), H
記載著者名: 神田玄泉, 著
刊写の別: 写
形態: 4冊,28cm
注記: 〈般〉享保16。
所蔵者: 佐賀県図鍋島,  鍋991 1345, K
目録分類: 和書(慶応以前)
参照番号: 2383780, 1229, 020094003

(7)甲南女子大学図書館上野益三文庫

書名  日東魚譜(上野益三文庫仮目録仮番号295)/写本/零本三冊/著者編者名  神田玄泉/体裁 袋綴 原表紙 茶色 二四・三×一六・八センチ/匡郭  枠なし/行数 一二行/丁数 五五丁/書外題 手 左肩/序題  日東魚譜/挿絵  有/序(序記)  東魚譜爾 于時 元文六重光作●孟春既望日/東都 隠● 神田一通子玄泉/奥付/刊記/刊年成立年  元文六年

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新種ハゼ発見―新聞記事

《東京新聞》2006年8月19日[社会]「熱気球」

○……和歌山県立自然博物館(海南市)は18日、同県串本町潮岬の海岸で、新種の可能性が高いハゼの仲間を中学生が見つけたと発表した。体色がオレンジで、目の下にあるいぼ状の突起が特徴。ミミズハゼ属の一種とみられるという=写真(同館提供)。

○……昨年8月、同県紀の川市立貴志川中学校3年の中澪(なか・れい)君(14)が、わき水のある岩場付近で一匹発見。翌月には同博物館の平嶋健太郎学芸員も一匹見つけた。いずれも5センチ程度の大きさだった。

○……平嶋学芸員が専門家に標本を見せるなどして調べた結果、未発表の種と判明した。中君は「捕まえた時には珍しいものとは思わなかったが、新種とわかったらうれしい」と話している。

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「アユカケ」メモ

◎神奈川県水産総合研究所内水面試験場 技師 勝呂尚之さんより1995年10月に捕獲されたアユカケについての取材(1996年1月26日 PM11時)

◇研究所所在地 JR八王子経由横浜線橋本駅より、タクシー(1200円)。相模原市大島3657 

勝呂 希少魚の研究に力をいれはじめています。以前からも国の指定の天然記念物指定の
ミヤコタナゴの増殖研究をやってきました。これからは、全国的な希少魚という概念ではなく、神奈川県で絶滅に瀕している魚たちについてを考えていこう。たとえば栃木にいようが、茨城にたくさんいようが、神奈川県で希少魚になっているというのであれば保護していこうという方針で研究に取り組んでいます。
 よく最近聞かれるとは思いますが、「系統」という言葉があります。例えば、相模川にすんでいるカジカと、隣の県のカジカと微妙な違いがあるという場合は、その地域のものとしてそれぞれに保護していくという考え方です。この考え方は、だいぶ浸透してきました。これまで、日本は、この考え方について遅れていた。
 例えば、ノルウエーの場合、サケをたくさん増殖してます。彼らは、水系別にそれぞれ、交わらないように増殖している。母川にもどる鮭ですから、どの川の鮭かがわかる。それが200も300も川ごとにしている。
 これが、希少魚となると、問題が大きい。希少ぎょとして数が減って、地域に部分的に取り残されてきた。県内のミヤコタナゴと、栃木県のミヤコタナゴというばあい、栃木にたくさんいるから、神奈川県では死んでもいいということにはならない。ここが重要な大前提となります。

 ---漁師さんや、地元の人にとって、地域的な差をそれぞれ知っているが、はたして別の魚なのかとか、同じ系としてくくれるのか。

勝呂 ヤマメなんかでも、本来は、神奈川の丹沢産のヤマメはいたはずです。今となっては、地のヤマメがどういうやつかというのは、非常に分かりやすくなっている。釣りのかたたちが、ここは俺の沢だということで、どんどん放流している。その放流の魚の起源は、入手しやすいところからとってきますから、静岡県とか、東北からもってくるとかということをしちゃう。
 神奈川県というのは、ヤマメとアマゴの境界線にある。ヤマメとアマゴは、亜種レベルの違いで、種の違いではない。ヤマメとアマゴの一つの説としては、ヤマメからアマゴのあいだに徐々に変わっていくという研究がある。しかし、今はそれが検証できない。人間が、別の系のものを離しちゃったわけですからね。
 ヤマメの研究もやっている中で、いろいろな沢のヤマメの形をみます。これは放流だな、また交じりますから、研究するものにとっては、広い意味での系統群ということでは、最近、「撹拌」「撹乱」ということばをよく使います。これが起きているのは非常に大きな問題であると思います。

 ---アユの稚魚の放流とか、琵琶湖さんの稚魚が各地に散らばっていくだけでなく、そこに含まれるほかの魚たちも一緒に放流されて、本来いないはずの場所にその魚がいるなんてこともおきている。

勝呂 相模川は、琵琶湖系のアユも交じっているわけですが、琵琶湖水系の魚たちも頻繁にみられるようになっています。ゼゼラとか、カマツカによく似た魚ですね。ヒガイとか、昔天皇陛下が好きでしたね。魚編に皇と書く、「魚皇」ですね。そういう魚類が増えています。あとは、外来種ですね。タイリクバラタナゴとか。タナゴ類は国内では絶滅に近い状態ですが、タイリクバラタナゴだけは増えている。
 いまペットショップなどで、タナゴの名前でこの魚が売られています。しかも10匹で1500円とかそういう安い値段ですから人気があるのです。この魚が飽きると、子供の替わりに親が、川に放してきてあげるよといって、捨てていく。それが川に定着していった。困ったものです。

 ---希少種ということでいえば、アユカケはほとんど絶滅に近い魚ということがいえる訳です。

勝呂 神奈川県ではほとんどいない。10年ぶりぐらいの捕獲記録でした。調査でいって採れないのと、実際にいないのかというとそうではない。釣り人の情報を常にあつめています。名刺を配って歩いているので、連絡をもらうと、この前採れたとかいうことはある。しかし、この情報は鵜呑みにはできない。何十件と情報をもらって確認にいきますと、カジカとか、カマツカとか、ハゼ科のカワアナゴの種類だったりします。

 ハゼの仲間は、環境指標種としてはちょうどいい種類なのではないでしょうか。ハゼの仲間は広い。ハゼは我々のなかでも、全部分類できる人というのは日本に一人とか二人しかいない。それぐらい多岐にわたっている。沖縄にもハゼがおおいんです。ハゼの研究というのはこれからの分野。新種の記載がどんどんきていますから。そのなかで、環境に強いやつ、極端に弱いやつ、いろいろなのがいますから。一般にいわれているハゼというと、どちらかというと環境の変化に強い、チチブの仲間とか、ヨシノボリとかというと、人々とのかかわりとしては大きいのでしょうね。

 ---ダボハゼですね。

勝呂 ダボハゼでいっしょくたにしているものですね。そのなかにも随分種類がたくさんいる。相模川でも10種類ぐらいいますから。

 ---10月に捕獲されたアユカケについてお話を聞かせてください。

勝呂 アユカケの生息調査を今年度からやっています。ところが1匹も採れていない。このアユカケは、たまたま友釣りに引っ掛かったものを飼育しているわけです。アユを食べようとして引っ掛かってしまうのか、ちょっとその辺は分からない。確かに釣れる。たまたま釣れた1匹がこれです。いままでは空振りが多かったんですが、今回は本物のアユカケでした。
 酒匂川の小田原大橋がる。河口に近いところ。アユカケというのは、アユカケに限らず、カジカの仲間は、ハゼ類と違って、胸鰭が吸盤になっていません。これはどういうことかといいますと、遡上能力が弱いのです。急流のところを、ハゼ科の仲間の魚たちは吸盤を使って、90度の岩をも登っていく種類もいます。ボウズハゼなんか、びっくりしますよ。そういうことができないのが、アユカケです。神奈川県では棲息域が非常に限られている。というのは、どこの県でもそうですが、大きな堰を作ってしまっている。魚道がありますよね。階段型の魚道は、当然水産重要魚種のアユとか、そういったものを前提において作っていない。だから、登れないんですね。これは昔聞いたことですが、堰のしたに(アユカケが)みんなたまっていたということです。遡上してくる稚魚ですね。ですから、アユカケの数が減ったというのは、間違いなく人為的な(環境の変化の)影響ですよね。どうみても。
 水質の悪化も当然あるでしょうが、堰をつくったことですね。海と川をいったりきたりするカジカがいますね。普通に陸封されたカジカはいまでも結構採れるんですが、(両側回遊性)のカジカは恐らく絶滅してしまったのではないでしょうか。もう記録は全然ないんです。15年~20年ぐらいない。アユカケよりない。だから、間違いなく人間がつくった原因によっていなくなった。

 ---問題は、カジカがいなくなっても、報道もされないし、だれもたいして気にしていないというような、そんな魚なんですね。生物学のほうの専門の方はもちろん気が付いているのだろうと思いますが。アユや、ヤマメなどの有用魚種のような認識はほとんどない。いわば「雑魚」ザコとしての認識です。その意味で、神奈川水試が、希少魚種の研究に取り組みはじめたということは、すばらしいことだと思いますね。

勝呂 その意味では、うちの試験場は、進んでいるとおもいます。ほかは、水産、内水面漁業、たとえばウナギの養殖とか、ニジマスとかですね。うちは、そういう漁業があまりない。東京近郊ですから、内水面漁業もやらなくなって、サラリーマンのほうが楽だから、なくなった。だから、うちの試験場の存在意義はなにかといわれたときに、希少魚種のような、そういう方向の研究だといえましょう。予算化されたこともあって、本格的にはじめたところなんです。
 基本的には、希少魚種の調査、種苗生産、最終的には放流適地を回復するということです。ミヤコタナゴについてみますと、生息所が1カ所もない、消えてしまった。だから新たな生息地を作るための試験を今年からはじめました。
 アユカケも計画には上がっているのですが、いまのところ(生息)調査しかできていない。というのは、採れない。

 ---福井県のアラレガコ。

勝呂 種苗ができて、中間育成の現場にいってきました。どうしても共食いをしてしまうのだそうです。高密度ではだめみたいですね。その意味で養殖向きではないかもしれません。高知もやっていますよ。高知と、福井と、石川県だと思います。日本海中心の分布ですが、最近の分布域が神奈川県までになっています。従来ですと、青森の上のほうまでいたということですが、神奈川までということでしょう。去年、アユカケが採れたときに、その前の年に、茨城の那珂川で採れてました。栃木でも1匹採れています。
 ここ数年あったかいのが関係しているのか、発見される回数が増えたということはいえます。茨城でも神奈川までしか分布していないのにみつかった。千葉では過去にも現在までに見つかっていない。
 静岡はまだ結構いますね。そういった河川がまだ残っているみたいです。カワズ川とか、うちに出入りしている日大の学生がみにいって、まだ間違いなくいます。

 あと、両側回遊性のカジカもそうですが、アユカケも自分の生まれた川に戻ってくるのかどうかということもまだ分かっていない。

 カジカとアユカケは、種苗生産もしていますが、本当の専門家は、生態では北海道におられるかたとか数が少ない。

 ---標準和名はカマキリというのですね。

勝呂 その北海道の先生は、カマキリというのが嫌いらしく、アユカケとして書いている。アユカケはもとは、地方名だと思うのですが、カマキリとはじめに記載されたことから、標準和名としてはカマキリ。ところが、カマキリというと、昆虫のカマキリと混同しやすいもんですからね。意味はちがうのですが。このカマがきれるということから。ここをカマといいますね。このカマのところにトゲがある。この刺できれるから、カマキリというのが魚の名前です。
 わたしも、新聞発表などではアユカケをつかっていましたら、博物館の方から、標準和名ではカマキリだといわれました。しってて使ったのですが。

…以下略

インタビュー:MANA・なかじまみつる(C)

話してくれた人:勝呂尚之さん(C)

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松江の鱸魚(1)

○「松江の鱸魚」について記した記述メモ

①『酒の肴・抱樽酒話』青木正児著、岩波文庫版、1989。「酒の肴」中「6 鱠」50ページ。

「さて魚鱠は水に恵まれた東南地方特に呉の名物として著われ、鱸魚の鱠が最も名高い。最初にこれを有名にしたのは晋の張翰で、彼は呉郡の人で、斉王に仕えて洛陽におったが、天下の乱れを厭い、秋風の起るを見て、急に呉中の蓴菜の羹と鱸魚の鱠とが食いたくなったと称して、官を辞しで帰郷した(『世説』織鑒篇)。その鱸というのはスズキではなく、むしろナマズに似た一種の魚で、松江の名物とされている。唐代の『南部烟花記』に隋の煬帝の時呉郡から松江の鱸魚を献上したところ、帝が「いわゆる金韲玉膾、東南の佳味である」とほめたと記されている。ところで『大業拾遺』(『太平広記』二三四引く)によるとこの時献上されたのは「鱸魚乾鱠」六瓶であったので、この乾鱠というのは鱠を切るはしから日に晒して乾し上げ、それを瓶に密封して貯えるので、使用に当って水に暫く漬けてから取り出して水をたらすと、まるで作りたての鱠と変らぬようになる。そして鱸魚の鱠は八、九月霜が下りた時、三尺以下のものを取って乾鱠に作るので、霜後の鱸魚は肉が雪の如く白くて腥くないという。鱠の乾物まで製造するに至っては、その盛行のほどが思いやられる。宋代の『春渚紀聞』巻四にいう、呉興(今の浙江省呉興県)の渓魚の美は他郡に冠たるものであるが、郡人が会集するには必ず鱠を切って勧める。その刀を操る者を「鱠匠」と名づけると。けだし専門の職であったわけである。また南宋の『避暑録話』巻下にいう、往時は南方の食品が北方に行われなかったので、京師(ベン梁。今の河南省開封県)に鱠を切る者がいなかった。梅尭臣の家に老婢があって独りこれを切り得たので、欧陽脩ら南方の人は鱠が食いたくなると鱠を提げて梅の家に往った。梅も魚の佳いのがあると必ず鱠を作って諸人を招いたという。」

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