静岡の水産の一級資料:水産経済新聞の書評載る

 漁業・水産の専門紙「水産経済新聞」の2009年1月20日2面に、当社が刊行した『静岡新聞に見る静岡県昭和水産史』の書評が掲載された。

Suikei090120syouwasuisansisyohyo 静岡の水産の一級資料――幡谷雅之著『静岡新聞に見る静岡県昭和水産史』

[静岡新聞に見る静岡県昭和水産史](幡谷雅之著、A4 判、772ページ、税別4000 円:写真)がまな出版企画から出版された。

 静岡県水産試験場に長きにわたり勤め、現存も「静岡県の水産」に携わる著者がまとめた本書は、対米開戦の昭和16年から、昭和の終焉(えん)となった64年1月までの静岡新聞(朝・夕刊)に掲載された水産関連記事の見出しに、簡単な説明を加えて編年体に構成したもの。

 昭和に静岡県内で起きた水産関係の政策、事件、事故、経済にとどまることなく、遊漁や環境汚染、科学などその採録範囲は広く、地方史の斬新な表現方法になっている。まさに静岡の水産の歴史を知るうえで欠かせない一級資料だ。

 本書を順にめくっていくと、沖合・遠洋漁業全盛期や華やかな技術革新に対し、二百カイリ定着や資源の枯渇など水産自給率の低下へと、業界の繁栄期から現在までの流れが読み取れる。ここから活気のあった「昭和の水産」への再来に向けたヒントがみえてくるかもしれない。

 地味な分厚い本の出版だけに、著者幡谷さんの執筆編纂の労を考慮して「一級資料」として紹介してくれたことに感謝。

MANA:中島 満

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冬だけど「氷」のドラマ再々放送!!―なぜか「篤姫」と接近

NHK「タイムスクープハンター」「お氷様はかくして運ばれた」が正月の深夜またまた放映されていた

年があけ、4日になって本ブログのアクセス数が200を越え、それが数日続いた。なぜか、アクセスの解析機能で「タイムスーくプハンター」の記事へのアクセスだった。

3日の番組の深夜(放送は4日)2時から、「タイムスクープハンター」が再放送されていたのだ。再放送の二度目だから再々放送ということになる。「加賀さまのお氷」運搬の話だが、タイムスリップして取材に出かける未来記者(タイムスクープハンター)の役が、人気上昇中の「要潤」(かなめじゅん)現象ということもあるけれど、若い人たちの歴史事件を扱う場合でも、どういう映像なら受け入れられるという「つぼ」を押さえた脚本と演出に配役だったからこその反響につながり、3度目の放送になったのであろう。

「氷の文化史」という、氷と人のふれあいの歴史にスポットをあてて記事を書いてきたものとして、これだけの注目をあつめたのは驚きであるとともに、正直とてもうれしい。

「篤姫」原作「天璋院篤姫」に描かれた「加賀さまの献上氷」

 おなじ「氷」つながりで、この正月にNHK大河どらま「篤姫」原作の「天璋院篤姫」宮尾登美子(講談社文庫、上・下)を読んだが、その下巻「和宮降嫁」の章に、江戸城多くの行事として、旧暦6月1日の「加賀さまの氷献上」が載っていた。

Tensyouinatsuhimebunkohyousi  それだけなのだが、それはそれとして原作には、西郷隆盛や大久保利通や小松帯刀らの、テレビでは篤姫との愛情も含めた交友関係が細やかに描かれていた薩摩の人物にほとんどふれられていないことにびっくりした。男の表現で言えば幕末の「傑物」といえるであろう「篤姫」を発掘し、限られた史実をもとに、宮尾流決めの細かな心のひだまで映し出す描写力で記す、純「歴史小説」に仕立ててあることに、うなづきながら一気に上下2冊読んでしまった。篤姫の家定との結婚が、水戸派とくんだ斉彬の徳川政権転覆、政権奪取という遠大な野望に基づくものであったことや、その延長線上に慶喜の行動が斉彬死後も続いていたこと、そして、篤姫が慶喜を一度接見したときに見抜いた邪悪な心の一面が、やがて家定、家茂の死は慶喜一派の薬殺によるものという断定を下していく。和宮は、本人というよりも付き人たちの行動として、その目論見に加担していたことを見抜いていた篤姫と和宮の確執は、テレビではまったく描かれていなかった。このあたりが、原作と視聴率をねらったテレビの脚色付き演出のちがいなのかと、思った。

ただし、正直なところテレビの「篤姫」も、「チャングム」と同様の関心と感動をしたし、また、原作「天璋院篤姫」もとてもよかった。

 その和宮降嫁の翌年、大奥の6月1日の恒例行事「」加州候よりの献上氷」をめぐって、篤姫付きの女中と、和宮付きの女中との大騒動につながっていく。そのくだりを引用しておく。

 それは六月一日、恒例の加州家より献上の氷室の荷をお広座敷で解くときに起った。
 氷とはいっても、これは雪の塊といったほうよく、加州家ではこの日まで冬の雪を土中に埋めて保存するため、土や塵芥が混って汚なくなっており、例年、きれいなところをほんの少し選って皿に入れ、天璋院にごらんに入れただけでさげ渡されることになっている。
 加賀の国からはるばると江戸まで、中の氷室が解けぬように運ぶのは大げさな荷造りであって、毎年、お広座敷は大へんな騒ぎでこの荷を解くのであった。

 当日は御三の間以下の女中たちが総出であたることになっており、京方、江戸方入り乱れて薦包みをほどいている最中、宮さま付きの女中きみが、天璋院付きのさよに褄を踏まれ、よろけて尻餅をついた。
 口々 にしゃべり合いながらの作業で、さよはそれに気づかず手を動かしているのを、立ち上ったきみは矢庭にその帯を掴んだ。その拍子に帯がゆるんでいたのかたちまち解け、おどろななりのさよを引き据えて、
「ひとを突き飛ばして、ようも平気でおいやす」
 ときみは叫び、それでやめればよいものを、
「こうやよって、江戸方は作法知らずというてるのえ」
 と続け、帯から手を離した拍子に体を振ったきみに煽られ、今度はさよが畳の上に転がってしまった。
 こうなると江戸方が黙っているわけはなく、さよが帯をひきずったまま怒りの形相で詰め寄るのへ応援団は続々増え、京方はまたきみの味方をして一団となり、氷室の薦包みを中にして両者にらみあう形となった。
 このなかで、お広座敷の頭をやっているさきが江戸方をかぼって京方に向い、

「京方の皆さんは少々お考え違いをなすっておいで遊ばすのと違いますか。そもそもこの氷室は、若御台さまにいちばん先に献上すべく、我々がお手伝いしてさし上げているのですぞ。お礼をいうてもらうのが当り前でありこそすれ、帯を取って引き据えられるようなむごい仕打ちを受ける覚えは当方にはございませぬ。
場合によっては捨ておきませぬぞ」
 と声を荒らげるのへ、きみは衣紋をつくろいながら立ち向い

…以下略(宮尾登美子著『天璋院篤姫』下巻「降嫁」164p~166pより)

新年早々、「タイムスクープハンター」の再々放映と「天璋院篤姫」の小説に記された、「加賀さまの献上氷」が遭遇した。真冬なのに、夏の氷の話題でした。

MANA・なかじまみつる

MANAしんぶん「氷の文化史」サイト目次:

http://www.manabook.jp/essay-icemanlibrary-index.htm

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新刊案内『静岡新聞に見る静岡県昭和水産史』

MANABOOK:2008年12月10日発行:好評発売中

静岡新聞に見る静岡県昭和水産史

Syouwasuisansi2satugazou_2幡谷雅之著偏 まな出版企画刊

◇A4判並製・カバー・772頁[本体価格4000円+税]

ISBN978-4-944114-10-8 C0062 \4000E

◇本書の特徴

○……激動する昭和の“水産静岡”を新聞記事タイトルから切り取った異色の水産史誕生!!

○……戦中戦後の混乱期から漁場拡大・技術革新期を経て発展してきた頼もしい“水産静岡”!!

○……その裏には第5福竜丸ビキニ被爆、多くの漁船遭難、公害被害などの悲しい歴史も!!

○……水産行政から漁業~養殖~加工~遊漁~料理、そしてB級記事に至るまで、水産関連の全記事を採録!!

◇本書の購入方法

★本書は、自費出版物のため一般書店ではご購入できません(但し、静岡県内では、「戸田書店静岡呉服町店」および清水の「東海大海洋学部売店」にて扱っています)。
★ご購入希望者は、まな出版企画まで、メールあるいはファックスにて冊数を書いてお申し込みください。
★送料はかかりません。発送元が負担します。

まな出版企画 〒165-0025 東京都中野区沼袋1-5-4 FAX03-3319-3137

メール:こちらまでお送りください。

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伴信友の狩谷棭斎評について

『伴信友の思想―本居宣長の学問継承者』森田康之助著(1979年。ぺりかん社)より

○伴信友:ばんのぶとも:「若狭藩士山岸惟智(これとも)を父として安永二(一七七三)年二月二十五日出生」……「文政四年四十九歳を以て至仕して隠居の身となったが、」……「隠居して一切の交役から自由となった信友は、爾来、その志をもとから好むところの学問に注ぎ、著作に考証・校勘に全力傾け、弘化三〔一八四六〕年十月十四日、京都の所司代屋敷に歿する。七十四歳であった。」(8p)

○「棭斎と信友:考証学者として知られた人物に、狩谷棭斎がある。信友とその生存時をほぼひとしくするこの棭斎は、その家の号を「実事求是書屋」といった。源順の『和妙類聚抄』の『箋注』二十巻は、その学問の特色を最もよく伝え、比較考証はまた精細を極めている。ではあるが、次に掲げる信友の棭斎評は、信友自らの持するところが、そもいかなるものであったかを、自ら語るものとして注目される。

三右衛門(棭斎)は津軽屋と申家名にて、雅には狩野(マヽ)之望(マヽ)、漢名棭斎と稱候。先年霊異記の考説ヲ著述印行いたし候。類写本霊異記にも、此男校行にて奥書有之候。和漢の古書ヲ好候て、校合考證をむねといたし、就中漢学ノ方長じ候様子、勿論古道は夢にも知らぬ趣也云々。珍書をほり出し、人にふけらかして、さて少も見せぬ風に相聞候也。(村田春門宛、信友書翰、文政一一・二・一三)

云々というがそれで、信友の気概にあっては、棭斎の考証と、自らが心がける学問、即ち校勘を、その重要なる手順とする学問とは、その性格を全く異にするものあるを云わんとしているのである。信友は棭斎とひとしなみの考証学者として数まえられることをば、いさぎよしとはしていなかったのである。」(183~184p)

MANAメモ:(1)「狩谷棭斎」は、現代のメールで、「棭」を打ち込み送信すると、文字化けが起きる恐れがあるのでご注意のこと。MANAは、ホームページ上では、「狩谷エキ斎(かりやえきさい:安永4〈1775〉~天保6〈1833〉)」と、カタカナ混じり表記で記している。

(2)伴信友のエキ齊に対するここに引用した厳しい批判評は、やはりそうなのかと本書を読みながら赤線をひき付箋をつけた。この書の著者も、おそらく、この引用の箇所のニュアンスから、信友に同意をして書いているようだ。いわゆる、近世の国学者と称される学者たちの総意としてよいのかもしれない。

(3)それにひきかえ、エキ齊本人の国学者にたいする評価は、信友がエキ齊に下している「和漢の古書ヲ好候て、校合考證をむねといたし、就中漢学ノ方長じ候様子、勿論古道は夢にも知らぬ趣也云々。珍書をほり出し、人にふけらかして、さて少も見せぬ風に相聞候也。(村田春門宛、信友書翰、文政11.2.13)」と、ほとんど蔑みとしかとれない見下した評価を、知ってかしらずか、箋注倭名類聚抄のエキ齊箋注文において頻繁に、信友の考証を引用している。エキ齊の、直接の信友評は、未見だが、おそらく、引用文の箇所や正確さから、信友や宣長の文章への信頼はあついものがあるように感じられるので、この「侮蔑」と「信頼」という相互評価の落差に、エキ齊やエキ齊らとともに研究、考察の交換を続けてきた「漢学」や「漢方医」学者への「国学者」に共通した、対立感情、あるいは批判の根があるように思える。このあたりは、「国学者」としては、アウトサイダー的存在であった、林国雄への宣長学派たちの評価とも共通するところがあるのかもしれない。

MANA:なかじまみつる

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『村落共有空間の観光的利用』池俊一著がまもなく発刊されるそうです

コモンズの「観光的利用」について

「ローカルルールの研究」の著者の一人でもある池俊一先生(早稲田大学教授)が、学位(博士)論文を元に『村落共有空間の観光的利用』(風間書房)を出版されるというお便りをもらいました。

 送っていただけるとかで、いまから楽しみです。LRでは、第4章「伊豆半島大瀬崎におけるダイビング観光地の発展」(有賀さつきさんと共執筆)を担当していただきました。同論文の内容も含まれ、地理学のジャンルにおける「共有空間」を、いわば「コモンズ」として位置づけ、LR的用語でいえば「入会的利用」と「市民的利用」を「観光的利用」として、「漁業的利用」の延長線上で現代の地域社会が生き残りを図るための智恵を提供するための「理論化」をはかったというようなスタンスであると思います。

 これで、また視座の選択肢が一つ増えた感じです。

 本が届いたらMANAによる感想(学術論文何で書評を書ける立場にはとうていなさそうですから)をぜひ書きたいと思います。

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『コモンズ論再考』では何が提起されているのか?

Commonsron_1 『コモンズ論再考』では何が提起されているのか?

(鈴木隆也・富野暉一郎編著、A5判270ページ・晃洋書房)

―「コモンズと所有」、あるいは「コモンズと法」を考える意味について―

この記事は、コモンズ研究会MLへの投稿文(2006年7月23日)再録です。

皆様

MANAです。(このあいだは、結局A先生のお誘いにのって、京都の地球研フォーラム「森は誰のものか」を聞きに出かけました。とても勉強になりました。先生はじめ皆様いろいろありがとう御座いました)

ところで、金曜日1冊の本が手元に届きました。京都の出版社・晃洋書房の最新刊『コモンズ論再考』(鈴木隆也・富野暉一郎編著、A5判270ページ)です。7月30日発行とあるから、同じ編集者仲間で、「売れない本作りをするN君のようなMさんが京都にいる」と、なんとも、ほとんどけなされている紹介のされ方で仲を取り持ってくれた先生(そのⅠ教授はどうもほめているつもりらしい)の紹介で知り合い、それいらい「入会」と「総有」と「漁業権」と「コモンズ論」の理解の仕方、あるいはユウゴウとハンパツの仕方について議論をしてきた丸井さんからの謹呈本でした。

私が出した「ローカルルールの研究」(佐竹五六・池田恒男他著)http://www.manabook.jp/localrule-saiban.htmを贈った返礼の意味もあっての、本屋さんに並ぶ前の、同社でもまだホームページの新刊紹介にも載せてていないほかほかの状態での謹呈であったのかもしれない。光栄であり、感謝します。(売れないので、人のふんどし中で宣伝しちゃいます)

研究者というスタンスとはまた異なり、編集者サイドでも、時代や思想の動向や研究者が向おうとしている方向などを実は、情報交換をしていて、本を作る、あるいはルポルタージュを書くというジャーナリスティックな観点で、コモンズ論は、これからどういう傾向をたどるのか、或はダドルベキかの意見交換をしていることを、恥ずかしながら吐露しておきます。僕は研究者じゃないんだから、こんな新刊紹介の仕方もアリという事で投稿しております。

この本は、2005年9月龍谷大学で行われた「里山ORC第7回研究会: 第50回 コモンズ研究会」で、問題提起と若干の議論が展開された「コモンズと所有」(≒「コモンズと所有と所有権」)あるいは「コモンズと法」についてのテーマを核にすえて、現代のまちづくりや都市計画、景観論における「公と共と私」(ざっと大まかに言い換えれば「共の利益や公共性と土地問題」)を土地所有権論再考の視点から一冊の本として提起した、おそらく日本で最初の本であるのだとおもいます(実はそう編集者のMさんが申しております)。

しかし、実は日本で一番初めに、このような問題意識にもとづいたテーマの本を出したのは、「コモンズ」という言葉を使わなかっただけで、不肖私の「ローカルルールの研究」なのであって、Mさんより1ヶ月早いのだからと強がり(ほとんどキョセイとミエ)をいいます。僕の本は決定的致命的に売れずに、Mさんの本は「売れない本の範疇のなかでは」という限定付きで、きっとたくさんの人に買って貰えるでしょう。この本のほうが、時代の要求にあって、読みたくなる本です。ほんと。このセンテンスの前段は蛇足です。

「コモンズ論再考」のなかで展開している「公と共と私」のテーマは、一昔前であれば国家の政策の中で現れるテーマに紛れ込んでいたのですが、現代ではもはや、地方自治論あるいはまちづくり論あるいは「地域産業復興論」(これだけは小生の勝手な造語)として展開されるはずの「地域」あるいは「地方」において、これから市民と行政と学問の総力を挙げて作り上げなければならない議論であり課題であると考えております。実定法でも、慣習(入会・総有概念も含めて)実体においても、その根拠を規定できない国家規範タイケイのなかで議論するより、法と慣習の主体者たる市民と地域が「管理と利用における法的機能の不備の現状」を率直に認めあって補完しあいながら自治的に「ローカルルール」を創出していかざるを得ないのではないか、というような理解を私はしておるわけです。

私がコモンズ論への関心と期待を1990年代の中ごろより持ち始めたのは、社会や経済の理解解明の一助になるというスタンスより、市民という立場で自己を主張していかざるをえない都市生活者が、日本の中にあって、世界市場の中では弱小の立場を強制されつつ我慢をしながらも、きっと生きながらえる力を持っているであろう農林漁業生産者と「共」存できる知恵を、「公」のありうべき姿と、「私」の所有論のハザマで、きっと従来の学問の成果を総合させるようなかたちで、方向付けを出していく事になる研究ジャンルに育っていく、という点を意識してのことでした。それを海からみればというかたちで、自分流に本を編集して出してきました。

「コモンズ論再考」には、現在のコモンズ論が展開されるまでの系譜を、詳細に描きつつ、確かに、コモンズ論では避けてきた(……のか、いや、けっして避けてなどいない、かどうかは大いなる議論が必要であるが……)所有論を明確に取り入れていかねば、地方が要求する、まさに、この10年間の生死をかけた生き残り索を図っていくときに「実践的手法、知恵」を提示できないのではないか、という一編集者の思い入れを感じることができるのです。事の性質によっては小異(の論争)を捨てなければいけない時期が現代であるというように、危機感を持っている小生としては、本書が、いわゆる環境社会学や環境経済学の外側(何が外かはわからないほど僅かだし、現状ではもうボーダレスといってよいと小生などは思っているのですが)にスタンスを持っている法学部(民法及び法社会学)系を中心とした研究グループによって提起されていることに、大変に意義があることのように思うのです。

この1,2年で、あきらかにコモンズ論の方向が二つに分かれていきそうな流れを感じているのは私だけでしょうか。研究者同士だと、それじゃあ、その二つとはなんだ、はっきりせよ、と問い詰めるだろうけれど、まあそれは、それぞれで考えればよいのですね。こういうずるい手法を編集者やフリーライターは使う事があるので信用されないのかもしれませんね。

こんなゴタクをくだくだいうより、目次を書いて終わりにします。

『コモンズ論再考』(龍谷大学社会科学研究所叢書第68巻)

目次

第1部:所有論としてのコモンズ論

 第1章 「コモンズ」論と所有論―近年の社会学的「コモンズ」論に関する覚書―

 第2章 土地所有権論再考

第2部:公共性の再構築と「公・共・私」

 第3章 公共性の再構成―「官・民」型社会から「公・共・私」型社会へー

 第4章 コモンズと年の公共性論

第3部:まちづくりから見たコモンズ

 第5章 まちづくりにおける住民の共通利益

 第6章 不文律の約束事として守られてきた美しい街景観―東京・国立のマンション訴訟で争われた「景観利益」をめぐって―

 第7章 計画的なまちづくりの推進と住宅用借地の共同管理―京都府網野町浜詰地域におけるコモンズが果たす今日的意義―

第4部:入会理論の再検討

 第8章 法学的入会権論の「源流」―中田総有論ノート―

 第9章 コモンズとしての入会

コモンズ論関連の出版と論文の内容を(僅かに小生流にトレースしている範囲)見ている限り、明らかに、今年が、「コモンズ論」研究の次のステップに入った転機の年になっている、とそんな気がしています。

門外漢ですから頓珍漢なとらえ方をしていてもご容赦くださいませ。この本は確かに、コモンズ論がステップアップしていくときの転換点をリードする1冊の中に入ってくるような気がします。こういうとらえ方からやってみようという若い研究者にとっては刺激的、魅力的な書であってほしいと、編集者の独り言です。

こんなおかしな投稿でもありかどうかは、わからないけれど、多分ありだろうと思い投稿しました。送ってくれたMさん、寄贈お礼の個人メール出そうと思ったんですが、大学の先生方は夏休みだし、こんないい加減な紹介をしてみる事にしました。(2006年7月某日記)

まな出版企画(MANAしんぶん)中島 満

 

◎発行先:晃洋書房:京都市右京区西院北矢掛町7

◎電話:075-312-0788

◎定価:本体2900円(税別)

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コモンズ研究会:http://freett.com/commons

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「ローカルルールの研究」発行しました

新刊の紹介 その1

里海叢書1 海の『守り人』論2
ローカルルールの研究
―ダイビングスポット裁判の検証から―
佐竹五六・池田恒男他著

2006年6月12日発行
A5判並製424頁
定価[本体5000円+税]

○海や川はだれのものだろう?
○海や川や湖=水系の管理主体はだれが担うのが良いのか?
○「入会(いりあい)」や「総有(そうゆう)」って「共有」とはどう違うの?

 海の『守り人』論で展開した漁業権や地先権の役割を、さらに現代の地方の時代というテーマをふまえ一歩進めて「ローカルルール」の考え方を提案します。
 海や水辺の利用と管理のメカニズムを「漁業(生業)的利用」「入会的利用」(農林漁業という産業としての暮らし)システムと「市民的利用」(人々の海・森・山・川へのアクセス)がおりあいを付けながら自治的に地域社会のルールを作り上げている実例をダイビングスポット訴訟という10年間続いた裁判判例と漁業権・入会権の成立過程の検討を加え導き出した。なぜ「漁協勝訴」なのか、その司法判断が導き出される過程の解明により、里海・里山利用やまちづくり、環境行政等にも影響をあたえるかもしれない斬新な実践論の書として読んでもらえれば著者一同の本望です。

◎掲載内容(目次)◎

Ⅰ 論文集

第1章 佐竹五六 総論

1-地先海面のレジャー利用をめぐる紛争と漁業法

  • ①問題の所在/②「法」ないし「権利」の観念が持つ二つの側面―実定法上の権利と現実に人々の意識を支配し、行動を規律している「社会的ルール」上の「権利」/②明治漁業法下における「実定法上の漁業権」と「生ける法上の漁業権」のギャップ―漁業法におけるギャップは何故発生したか―/④当面する課題と沿岸漁業を取り巻く社会的経済的環境/⑤如何に対応すべきか

2-書評「海の『守り人』論」を読む

3-共同漁業権は「入会の性質を失った」のか

第2章 池田恒男 判例評釈

  1. 共同漁業権を有する漁業協同組合が漁業権設定海域でダイビングするダイバーから半強制的に徴収する潜水料の法的根拠の有無(東京高判平8・10・28)(大瀬崎ダイビングスポット訴訟・東京高裁判決評釈)
  2. 共同漁業権を有する漁業協同組合が漁業権設定海域で潜水を楽しむダイバーから徴収する潜水料の法的根拠の有無(大瀬崎ダイビングスポット訴訟・上告審判決及び差戻し控訴審判決評釈)

第3章 田中克哲 マリンレジャーとローカルルール―DS訴訟事件

第4章 池俊介・有賀さつき 伊豆半島大瀬崎におけるダイビング観光地の発展

第5章 上田不二夫 宮古島ダイビング事件訴訟

第6章 浜本幸生 補論

 ①渡船業者及びダイビング事業者と漁協との紛争にかかる判例
 ②漁業権消滅後の漁場に生じている事態

Ⅱ 判決・資料集


(1)~(5)大瀬崎DS裁判―静岡地裁沼津支部判決(一審)/東京高裁判決(控訴審)/最高裁控訴審上告理由書/最高裁判決/東京高裁判決(差戻審=結審)
(6)~(9)沖縄伊良部島D裁判―那覇地裁平良支部判決(一次訴訟)/那覇地裁平良支部判決(二次訴訟)/福岡高裁那覇支部判決(二次訴訟控訴審)/最高裁判決(二次訴訟結審)

あとがき 中島満―徳島牟岐・和歌山すさみ・岩手県宿戸・東京湾お台場の事例から

○著者の現在所属
佐竹五六(全国遊漁船業協会会長・元水産庁長官)/池田恒男(龍谷大学法学部教授。元東京都立大学法学部教授)
上田不二夫(沖縄大学法経学部教授)/田中克哲(ふるさと東京を考える実行委員会事務局長)/池 俊介(早稲田大学教授・元静岡大学教育学部教授)/有賀さつき(静岡大学教育学部卒)/浜本幸生(故人・元水産庁漁業法制担当官)/中島満(ライター・漁業史研究家・季刊里海編集同人)

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