松江鱸魚(2)

『私の魚博物誌』内田恵太郎著(1979年)239~240pより

魚のいわゆる「博物誌」や「エッセイ」の本のなかで、木村重「魚紳士録」とならんで珠玉の書であろう。田中茂穂の『食用魚の味と栄養』などの諸作とどうよう、専門の魚類・動物学・分類学を背景として、専門外の教養の学の範囲を超えた質を、フィールドワークによる経験知を交えて現代に伝えてくれる。実はこの種の本は、意外と少ないのである。

○松江鱸魚(しょうこうのろぎょ)備忘資料。以下引用原文。

鱸 スズキと松江鱸魚

 晋の張翰(ちょうかん)が官途について都にいたとき、秋風が起こるのをみて急に揚子江下流の故郷呉の地のジュンサイの吸物と鱸魚のナマスの味を思い出し、官を辞して故郷に帰ってしまったという故事は、名利を卑しんで情節を尊ぶ中国の思想にかなったものとみえ、以来、「秋風鱸魚鱠」という意味の詩句はあげきれないくらい多い。この鱸は日本のスズキと同一種で、漢字魚名が両国同一種を指す少ない例のひとつである。白鱸、銀鱸という用例も同じくスズキを指している。

 スズキはスズキ科に属する沿岸魚で、日本全国、朝鮮、中国に広く分布する。海で産卵する海魚ではあるが、餌となる魚を求めて川に入り、水量の多い大河をかなり上流までのぼるので、川で漁獲されることも多い。したがって、中国の詩文に出て来るスズキはほとんど川魚として扱われている。

 さて、ここに松江鱸魚という魚がある。蘇東彼の『後赤壁賦』の「薄暮網をあげて魚を得たり。巨口細燐、かたち松江之鱸のごとし」という句で有名であるが、網でとれた魚は松江の鱸に似ていたというのだから、松江の鱸そのものであったか、似てはいるが別の魚であったかその辺のことははっきりしない。ただ、揚子江産で、スズキに似た別の魚というのはちょっと思い出せない。松江は揚子江下流の地で、古来スズキの名産地である。

 ところで、中国で現在松江鱸魚と呼んでいるのは、スズキとはまったく違う別の魚で、四鰓鱸ともいう。冬至の前後産卵前の腹に卵のある季節がもっとも美味で、鍋料理が名物である。この魚はドンコのほおにトゲをはやしたような姿をしていて、大きさは十五センチぐらい、やや黄色みを帯びた褐色で暗褐色の雲形の斑紋がある。口は大きいがウロコはない。とれは、カジカ科に属するヤマノカミという魚で、日本では九州有明海に注ぐ筑後川、矢部川の下流にだけ分布する特産魚だが、朝鮮、中国にはかなり広く分布する。日木産の魚でこれに近いものに、川魚のカジカカとカマキリがある。カジカは石川県金沢の名物ゴリ料理の主体になっているマゴリであり、カマキリは福井県九頭竜川の名産として福井のアラレガコ料理の主体アラレガコである。両種とも日本国内の分布はかなり広い。筑後川のヤマノカミ(土地ではヤマンカミという)は雑魚として土地のものが知っているだけで、まったく利用されていない。松江鱸魚そのものであるから、久留米あたりの名物料理にしてもよさそうなものだ。もっともあまり多くはとれないが……。

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うしぬすっと

年頭丑魚尽くし「うしぬすっと」

 あけましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願いいたします。毎年恒例の年頭の干支魚エッセイをご披露いたします。

 干支「牛・丑」にちなむ魚の名称がどのくらいあるだろうか。思いつくままにあげてみよう。

Uosinusuttokinmouzui_2   ウシノシタは、牛舌魚と書いてウシノシタカレイ、クツゾコ、シタヒラメのこと。靴底、牛の舌といい、どんな魚かすぐ連想がつく。クツゾコは有明海の特産、シタビラメといえばフランス料理の高級素材となる。
 ドジョウをウシドジョウともいう。ウシサワラは、全長2メートルにもなる大型のサワラの一種。オキサワラということもある。味は大味のため商品性は劣る。漢字では「牛馬鮫」。なんという複雑な表現であろうか。

 ゴンズイは、権瑞と書くのが普通のようだが、「牛頭=ごず」からの転化という説もある。牛の頭をした地獄の怪物が牛頭。牛頭馬頭(ごずめず)という馬の顔をした化け物と一対でもののけとなって人間と付き合いをする。背鰭と胸鰭に毒を発する棘(とげ)を持ち、形態もさることながら、棘に触ると腫れるなど毒魚のイメージも、牛頭魚と呼ぶ起源かもしれない。
 このほか、ウシはつかないが、その姿形から漢字をあてて牛尾魚(あるいは牛魚)がコチ、エイの仲間(いずれも細くて長い尻尾状の形をしている)というのも納得がゆく。
 さらにコイ科の淡水魚ウシモッゴなど探せばもっとでてくるだろうが、極めつきの「牛」つき魚名は、なんといっても「ウシヌスット」である。

 「牛盗人」とは、なんとも物騒というか、ユーモラスな名を付けたものだ。ウシザワラやゴンズイの場合もそうだが、牛や馬という名前が俗称に付くと、のっそり、どんちょう、ばかでかいなどなど、あんまりほめられたいいかたにはならないようである。
 ウシヌスットとはどんな魚なのだろう。

 なんのことはない、子供時代に川遊びの相手をしてくれたドンコのことであった。ハゼ科のカワアナゴ、ドンコ、およびカジカ科のカジカを混称して「ドンコ」と呼んでいるが、このなんともユニークな名前が和歌山、岡山における地方名になっていたのである。

 ドンコは、漢字で書けば杜父魚、鈍甲、鈍魚となる。ドンコの同名異称に、ドロボオとする(琵琶湖周辺)呼び方があったり、まったく種は異なるカジカにも地方名で共有したりする。
 数年前仙台に、ハゼのジュズコ釣りという鈎を使わずに釣り上げる漁法を取材したことがある。ゴカイを糸でとおしてリング状にすると自然によれて小豆大のコブがいくつもでき、このコブをのみこんだハゼを引き抜く漁師さんのみごとな技に関心した。そのとき仙台ではマハゼをカジカ、カツカと呼ぶことを知った。ジュズコ釣りは、もともとは鰍釣りといっていた。さらに、本命の魚の餌を横取りするダボハゼのことをドロボウカツカともいうそうである。

 ウシヌスビトは、広辞苑では「無口で動作の遅鈍な人」をいうとある。動作や容貌の似ているハゼ科のドンコやカジカ科のカジカなど、マハゼやヨシノボリなど小型のハゼ科の魚たち、さらに小型の低棲性の川魚(カマツカ、ギギなどにも「カジカ」や「ハゼ」の同名異称の方言と共有する名称が多い)たちには、種を分かつ分類の生物学の世界では通用はしないけれども、人々の暮らしや信仰、子供の遊びをとおして、ひとくくりに同名にしてしまうもうひとつの魚の命名の仕方があるようなのだ。

 地方方言の非常に多いこうしたハゼやカジカ、ドンコの類の共通の名前を持つ魚たちを、いっぱひとからげにして「雑魚(ざこ)」と呼ぼう。南方熊楠が、「ドンコの類魚方言に関する薮君の疑問に問う」という小文のなかで、地方名が同名ゆえに同類に分類した魚類学者の混乱ぶりを嘆いている。南方は、生物学上の分類のためには、人と魚の触れ合いから生じて同名にくくった世界の理解をも必要とするというようなことをいいたかったのかもしれない。こんな魚の理解の仕方を「ザッコロジー」とでも呼ぼうか。

 リバーブルヘッドは、イギリスでカジカのことだが、「川牛頭」、これも干支の魚名に加えてもいいようである。

 注記:だいぶ前に、名前を忘れたPR雑誌に投稿をした原稿に若干手を入れて再録する。ほとんど未発表の文章と同じなので、2009年の年頭サカナエッセイとして載せておくことにしよう。それにしても、もう干支を一巡してしまったことになる。

注:画像は「訓蒙図彙」巻之十四、龍魚より

(C)MANA・なかじまみつる(中島 満)

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「琵琶湖のテナガエビの由来に関する一考察」がおもしろい

原田英司・西野麻知子著「琵琶湖のテナガエビの由来に関する一考察」(琵琶湖研究所所報、21:91-110p) 2004年。
http://www.lberi.jp/root/jp/05seika/syoho_bi/21/21-12.pdf

を読む。近世博物学、本草学から明治大正昭和の魚類学論文までを駆使し、表題のテーマを論述している。

滋賀県琵琶湖・環境科学研究センター
http://www.lberi.jp/root/jp/bkjhindex.htm

のサイトより、公開論文として読めるが、『湖魚考』、『湖中産物図證』の史料価値の大きさに、それぞれ原本のコピーを手元において、自分流の復刻の文章をぼちぼちと、いっこうにすすまぬ作業をしてきたものにとって、現代の視点をもって過去の時代にさかのぼって、事の真相を究明するために、原典に当たって読みこなしていきながら、いくつもの新事実発見をしていく、本論文は、読み終えて、琵琶湖の自然の大きさ、そして、人と琵琶湖のきずなの深さを知ることとなった。ドキュメンタリーが成立するほどの面白さを感じたので、備忘録として、メモを残しておこうと思った。

MANA:なかじまみつる

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サンマはいつから「秋刀魚」と書くようになったのか?(2)

江戸時代の文献に「秋刀魚」の文字が見つからない

 まず、サンマの漢字表記「秋刀魚」の文字はいつ頃の文献から現れだしたのかを調べてみましょう。

 とりあえず(1)でふれたとおり、手持ちの資料と、公設図書館、ネットライブラリー・データベースを使って、原典探索して、該当個所を抜き出したものを、

真名真魚字典:その他9画「秋刀魚:さんま」

真名真魚字典:15画[箴]:冒頭タイトル下記。

15[]|鰶11[]

に載せましたので、引用句等は、それらにリンクさせる形で書いていきます。

 結論から言えば、ずばり「秋刀魚」とはじめて表記してサンマにふれた文献は、現在のところ見つかりませんでした。ただし、なぜ見つからなかったのかを含め、おおよそ見当がつきましたので、お話します。

(1)まず、現在までのところ「秋刀魚」を、文献としてはじめて表記した記録は、『水産彙考』(明治14年。1881年。織田完之著)です。この書の冒頭「凡例」に、

一、和名のみにて漢字の当たるものを見ざる。「サンマ三摩)」「バカ(馬珂)貝」の類は、音を仮りててこれを通ずるのみ。「サンマ」を、シマサヨリと称し、[](シン)の字を用うるは謬れり。[]は針嘴魚(シンシギョ)にて長嘴なり。三摩秋刀魚シュウトウギョ)と云えるは拠處(キョショ)なし。(サイ)を三摩に当てるも非なり。コノシロなり。バカ貝を沙虱(サシツ)と云うも亦信認し難し。本邦にありて漢土になきものも多かるべければ、強て牽合を須〔モチ〕いず。別に水産名彙の一書を収録せり。まさに追刻して遺欠(イケツ)を補わんとする。 〔MANA:筆者によりカタカナをひらがなに、一部現代表記に直してあります。〕

と書いてあります。「処拠なし」ということは、それまでに、「秋刀魚」を記していたことをさすのですから、使用頻度は別にして、見つかっていないだけで、何かに記されているはずです。その「何か」は、おそらく、新聞記事のような文章ではないかと想像していますが、わかりません。

 ただ、わたしが、この資料の記述に信憑性と、サンマが漢字表記される由来をたどるカギが隠されていると考えるのは、それなりの理由があります。

(2)それは、『水産彙考』という本の刊行経過と役割り、そして、著者の織田完之(おだかんじ)という人物が、明治維新後に果たしてきた明治政府における産業育成を進めた農水産行政において果たしてきた行跡への高い評価と影響力を前提にしているからです。織田完之は、天保13年(1842)三河国高須郡(現在の愛知県岡崎市福岡町居屋敷)に生まれ、医学を学んだ後、幕末の尊皇攘夷組織「天誅組」の組織者の一人、松本奎堂(まつもとけいどう)の私塾に入り師事し、運動に走った。「維新後は、明治4年に大蔵省記録寮から内務省勧業寮に転じて…、さらに農商務省の設置とともに同省農務局に奉職、農政・経済・教育・勧業等の振興策を論じ、みずからも印旛沼開疏事業等に奔走」(「農政史家織田完之と若松県政」若松史学研究復刊第27号・28号、松尾正人著)人物であり、内務省任官まえに吏員として勤めた若松県官員(現在でいえば福島県庁)時代に、知己となった河原田盛美の水産局吏員として全国水産普及行脚(教育・勧業のための講演・講義・指導)や日本水産誌を、金田帰逸とともに産業育成(「水産製品誌」)分野を担当し業績を残す大きな影響を与えた人物でもあったのです。

(3)サンマと秋刀魚の話から、近代水産業振興に多大な貢献をした、織田完之、河原田盛美に話が飛ぶのも、飛びすぎのようですが、実は、二人(に代表される明治勸農行政:産業博覧会を一例とする)の合作というべき、重要な著作『水産小学』という、初等教育教科書の刊行(明治15年)に取り上げられた、魚貝名称の記述方針とかかわりを持つことにふれたいからなのです。(かきかけです)MANA

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サンマはいつから「秋刀魚」と書くようになったのか?(1)

サンマと秋刀魚の名物考証をしてみました

サンマはいつから「秋刀魚」と書くようになったのか?(1)

  Sanma_2 魚名考証漢字字典として載せている「真名真魚字典」サイトを見たといって質問メールをいただくことが多くなりました。最近のメールで多いのが、いまがまさに旬まっさかりの「サンマ」に関するもので、「サンマは、秋刀魚と書きますが、鯛や鮪のように、漢字一字で、サンマをあらわす字はあるのですか?」に類似した質問をされるかたが多いのです。

 ところが、実は、正直なところ、筆者もまだ、サンマについて、きちんと語源及び漢字表記の考証のための、文献整理をしたことがなかったので、満足に答えられないことを吐露せざるを得ません。手持ちの資料で、急場しのぎの次のような返事を書いて返信しました。

○プレ考証(返信第一報):「MANAしんぶん:http://www.manabook.jp/
の「真名真魚字典」:http://www.manabook.jp/manamana-uohenkanji.htm
を読んでいただきありがとうございます。出典を明記していただければ、引用していただいてかまいません。
 ところで、「サンマ」は、まだ項目として整理していないので、きちんと答えられるかどうか自信がありません。みなさんがご存知のことがほほとんどだと思いますが、手元の資料を調べて、お答えすることにします。

 漢字では、一般的には「秋刀魚」が使われていますが、江戸時代の本で、この字をまだ見つけていませんから、おそらく明治にその形態から充てられた漢字だと思います。どの文献がはじめに「秋刀魚」を書いたのかは、私もまだ調べていません。
江戸時代には、[箴]=魚ヘンに「箴」と書き、シンと読ませる字を、サンマに当てています。また、「針魚」としたり、「青串魚」、あるいは「細魚」として、サヨリの異名に「サンマ」が載ります。

 明和年代(1764から1772)に記された随筆「梅翁随筆」のなかに、塩漬けのサンマ(あましおのさんま)のことが載っています。

 ただし、「サンマ」として、江戸時代に記述された文献がちょっと調べただけでは少ないようです。「目黒のサンマ」のような落語もありますが、明治になって演じられたもので、江戸や和歌山や、日本海に産地としてサンマの漁法を記す資料もたしかにありますから、けっこうひろく生産消費されていたことが予想はされるものの、実は、あまりよくわからない、というのが正直なところです。

 また、江戸期の川柳を記した「ハイ風柳多留」に、天明二年(1782年)編の作に「さんまのひものくいさして鳥おひ」があり、明和、天明期に、江戸で、塩魚として食べられていたようですが、いまのさんまの焼き方で、煙もうもうとして、焼いていた姿が、本当にあったかどうか、厳密には、よくわかりません。
 この程度でご容赦ください。

 さて、この程度の知識じゃあ、質問者に申し訳ないですから、MANAしんぶんのトップページの「旬な写真」を「サンマ焼く」に切り替えたのをよい機会に、「サンマ」と「秋刀魚」について調べてみることにしました。

 真名真魚字典「その他9画:秋刀魚」の項目を作り、典拠資料を抜書きして整理してみると、いくつか面白いことがわかってきました。

 (1)「さんま」という呼び方は、江戸時代中期ごろまで使用文献をさかのぼれますが、[箴]あるいは[箴]魚という、サヨリに充てられる漢字を、サンマを指す漢字に充てる例はあっても、タイ=鯛やスズキ=鱸のような、的確な魚名漢字が見当たらない。

 (2)「秋刀魚」の漢字表記は、江戸時代に成立している文書には、現在までのところ見つかっていない。

 (3)おそらく「秋刀魚」は、明治のはじめごろに使われ始めたのではないかという予測がつくが、はじめて「サンマ=秋刀魚」と記載した文書がなんであるのかは、見つかっていない。

 (4)落語の「目黒の秋刀魚」は、江戸時代の殿様が主人公になる古典に属する有名な話だが、初演は明治になってからで、それでは、誰が始めに演じたのか、(3)とのかかわりで調べてみる必要が出てきた。

 ……(続く)

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魚のウオとイオの呼びわけについて

「箋注倭名類聚抄」の現代語訳注より―巻第八「龍魚部」(5)魚

和名類聚鈔(京本) 文字集略云、魚〔5〕語居反、宇乎、俗云伊乎、}水中連行蟲之惣名也、〔読み下し文〕魚 文字集略は云う。魚{語居の反。魚(うお)。俗に伊乎と云う。/水中連行するものにして、蟲の惣名なり。

エキ齊箋注{○下総本は、「和名」二字あり。『日本書紀』「神代紀」に、魚を「宇乎」(うを)と訓む。 「紆嗚」(うを)は又、継体紀春日皇女歌に見える。「伊乎」( いを)は、『栄花物語』「楚王の夢」巻、「御裳着」(おんもぎ)の巻に見える。}{○下総本に之の字なし。伊勢広本も同じ。エキ斎按う。『周禮』「考工記」「梓人(しじん)」注に、「連行魚属」と云う。阮氏の蓋本(文字集略)は此による。『説文』は「魚、水蟲也、象形、魚尾は燕尾と相似る」とある。} 

●MANA訳注:『箋注倭名類聚抄』現代語訳注参照「魚」

「魚」を、ナ、トト、ウヲ、イヲと呼ぶ、それぞれの呼びわけについて、本居宣長の整理を『古事記伝』〔岩波文庫版(一)~(四)〕に見てみることにしよう。

)(4-19p)鳥遊は、登理能阿曽備(トリノアソビ)と訓べし。…中略…野山海川に出て、鳥を狩(カリ)て遊(アソ)ぶをいふなり。…中略…是レ狩(カリ)をも遊(アソ)びと云証なり。…中略…是レもなほ魚釣(ナツル)を云なるべし。○取魚は、師の須那杼理(スナドリ)と訓れつるぞ宜しき。

)(4-57p)○真魚咋は、麻那具比(マナグヒ)と訓べし。魚(ウヲ)を那(ナ)と云は、饌(ケ)に用る時の名なり。【只何となく海川にあるなどをば、宇乎(ウヲ)と云て、那(ナ)とは云ハず。此ノけぢめを心得おくべし。】書紀ノ持統ノ巻に、八釣魚(ヤツリナ)てふ蝦夷(エミシ)の名の訓注に、魚此ヲ云灘(ナト)。万葉五【二十三丁】に奈都良須(ナツラス)、【魚釣(ナツラス)なり。】これら釣魚(ツルウヲ)は、饌(ケ)の料なる故に、那(ナ)と云り。…中略…さて菜(ナ)も本は同言にて、魚にまれ菜にまれ、飯に副(そへ)て食(ケフ)物を凡て那(ナ)と云なり。…中略…万葉十一【四十二丁】に、朝魚夕菜(アサナユフナ)、これ朝も夕も那(ナ)は一ツなるに、魚と菜と字を替て書るは、魚菜に渉る名なるが故なり。さて其ノ那(ナ)の中に、菜よりも魚をば殊に賞(メデ)て、美(ウマ)き物とする故に、称(ホメ)て真那(マナ)とは云り。【故レ麻那は魚に限りて、菜にはわたらぬ名なり。今ノ世に麻那箸(マナバシ)麻那板(マナイタ)など云も、魚を料理(トトノフ)る具に限れる名なり。】さて、真魚咋(マナグヒ)と云名目(ナ)は中昔の記録ぶみなどに、魚-味と云ヒ、今ノ俗に魚-類の料-理と云ほどのことゝ聞ゆ。

)○如魚鱗所造之宮室(イロコノゴトツクレルミヤ)。魚鱗は伊呂古(イロコ)と訓べし。和名抄に、唐韻ニ云ク、鱗ハ魚ノ甲也。文字集略ニ云ク、龍魚ノ属ノ衣ヲ曰鱗ト。和名以呂久都(イロクツ)。俗云伊呂古(イロコ)。字鏡には、鰭ハ魚ノ背上ノ骨、又伊呂己(イロコ)とあり。【和名抄に、以呂久都と云るは心得ず。又伊呂己をば、俗云とあれど、俗には非じ。さて又これを、今は宇呂古と云フ。此ノ宇(ウ)と伊(イ)とは、何れか古へならむ。魚をも、中昔には伊袁(イヲ)と云へれども、今は多く宇袁(ウヲ)と云を、古言にも宇袁(ウヲ)と云り。然れば、鱗も、中昔にこそ伊呂古(イロコ)とのみ云ヘれ、古事は宇呂古(ウロコ)なりけむも知リがたし。されど古書に然云るを未ダ見ざれば、姑ク和名抄に随ひて訓るなり。】

)(筑摩書房本居宣長全集第十一巻)三十一之巻○御食之魚は、美氣能那(ミケノナ)と訓べし、【又魚を、麻那(マナ)とも訓べし、上巻に、真魚(マナ)とあると同じければなり、】大神の御饌(ミケ)の料の魚なり、【 又御食(ケ)を、太子へ係(カケ)て、太子の御饌の料の魚と見ても通(キコ)ゆ、天皇は凡て己レ命の御うへにも御某(ミナニ)と詔ふこと常なれば、太子も准へて御自(ミミヅカラ)も御気(ミケ)と詔ふべし、されど於レ我(アレニ)とあるよりのつゞきを思ふに、なほ大神の御食の魚と見る方まさるべし、】魚は、食ノ料にするをば、凡て那(ナ)と云例なり、【 此事上に既に出ヅ、】さて如此我(カクアレ)に御食の魚(ナ)給へりとある、一言に、大神の御恵(ミメグミ)を深く辱(カタジケナ)み喜(ヨロコ)び謝(マヲ)し賜ふ意おのづから備(ソナ)はりて聞ゆ、【 古語は簡(コトズクナ)にして、かく美(メデタ)がりき、かの書紀の漢(カエア)ざまの潤色(カザリ)の語の多くうるさきと思ひ比(クラ)ぶべし、】

by MANA:中島 満(C)

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書紀・古事記に登場する魚の名を冠した人名の整理

古代史に登場する魚名冠人名の整理

シビやコノシロやフナの名前のついた人名が日本書紀や古事記に載る。狩谷エキ斎「箋注倭名類聚抄」の読解と現代語訳を進める中で、原典確認の作業の過程で、該当箇所の注記だけではなく、一覧にしておく必要を感じた。

(1)鮪:箋注倭名類聚抄第八巻:〔11〕鮪 食療経云、鮪、{音委、}一名黄頬魚、{之比、}{○「武烈紀」の訓注に「鮪 、此を慈寐(しび)と云う」。:平群臣鮪(へぐりのおみしび)

(注1)武烈紀:日本書紀巻第十六「武烈天皇」影媛(かげひめ)、曾(いむさき)に真鳥大臣(まとりのおほおみ)の男(こ)鮪(しび)に姧(をか)されぬ。{鮪、此(これ)をば玆寐(しび)と云ふ。}太子の期り……以下略。

(注2)鮪:しび:①岩波文庫版「日本書紀(三)」注六(147p):清寧記〔古事記、下つ巻清寧天皇〕には「平群臣之祖、名志毘臣」とあり、菟田首(うだのおびと)の女、大魚(おふを)を歌垣で顕宗天皇と争って殺されたとある。記紀いずれの形が本来のものか明らかでないが、津田左右吉は……中略……書紀編纂の際に顕宗天皇についての物語を武烈天皇の話にすり換えたのであろうとしている。②同内容について「古事記伝」第43(清寧)(吉川弘文館増補全集本第四)2119~2134p参照。

(注3)補注○:「シビ」と訓むことについては、箋注倭名類聚抄第八巻〔14〕鮫の注14-13(a)(b)において エキ齊によって、サメのサンスクリット語源説に関連してシミ≒シビの訓みとのかかわりに触れているので参照されたい。

(2)-1コノシロ:箋注倭名類聚抄〔38〕[制]:孝徳紀人名、訓注:『日本書紀』巻第二十五「孝徳天皇」:大化二年三月条:塩屋(連)[制]魚{[制]魚、此云、挙能之盧。}

(2)-2コノシロ:同[制]:〔25〕[覃]の注(25-3)[台](えい)を載せた日本書紀齋明紀に「塩屋連[制]魚」(しおやのむらじこのしろ)をのせ、[制]魚を「このしろ」と訓みを与えている。また、同記載前に「物部朴井連鮪」(もののべのえいのむらじしび)(粛清される有馬皇子の居る家を兵で取り囲む件)の人名を載せる。

                                 by MANA中島 満

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日東魚譜について

「日東魚譜」(神田玄泉著編)写本の蔵書ライブラリー

○国書総目録:日東魚譜{にっとうぎょふ}〔類〕魚介 〔著〕神田玄泉著編 

〔写〕:写本の所在:

国会(4冊)・国会伊藤(巻一~五、五冊)・国会白井(巻一~七、七冊)(一冊)

内閣(四巻首一巻五冊、二部)(異本、四巻四冊)

静嘉(四巻四冊)

東洋岩崎(四巻四冊)

史料館祭魚洞(二冊)

東博(江戸末期写四巻四冊)

早大(巻一~七、七冊)(巻一・二、二冊)

東大(四巻四冊)

大阪府(一冊)

日比谷加賀(一冊)

岩瀬(三冊)

杏雨(一冊)

[(早→考)](「日東魚譜彩色図入」、一冊)

延岡内藤家(五冊)

(1)国会図書館

①請求記号     特7-197 
タイトル 日東魚譜. 巻1-5/ニットウギョフ/責任表示   神田玄泉/出版者 写 
形態  5冊 ; 27cm/装丁  和装 
注記     印記:白河,桑名,楽亭文庫/注記 伊藤文庫 
個人著者標目 神田/玄泉 ∥カンダ,ゲンセン 
非統制件名  魚介/発行形態コード  0101: 図書 
物理的属性コード     06: 手稿・文書類 
資料内容種別コード     01: 和古書 
校了日 20010331/最終更新 20040404235959/書誌ID  000007311856
②請求記号     139-127 
タイトル     日東魚譜  ニットウギョフ /責任表示     神田玄泉 
出版者  写/形態 4冊 ; 27cm/装丁 和装 
注記     印記:桑名文庫,白河文庫,立教館図書印[ほか] 
個人著者標目     神田/玄泉 ∥カンダ,ゲンセン 
非統制件名  魚介/発行形態コード 0101: 図書/物理的属性コード  06: 手稿・文書類/資料内容種別コード 01: 和古書 
校了日     20010331/最終更新     20040404235959/書誌ID     000007311853
③請求記号     特1-2524 
タイトル     日東魚譜 7巻  ニットウギョフ /責任表示     神田玄泉 
出版者     写/形態     7冊 ; 21cm /装丁     和装 
注記     印記:節斎書庫之印/注記     白井文庫 
個人著者標目     神田/玄泉 ∥カンダ,ゲンセン 
非統制件名     魚介 
発行形態コード     0101: 図書 
物理的属性コード     06: 手稿・文書類 
資料内容種別コード     01: 和古書 
校了日     20010331/最終更新     20040404235959/書誌ID     000007311854 
④請求記号     特1-927 
タイトル     日東魚譜 ニットウギョフ/責任表示     神田玄泉 
出版者     写/形態     1冊 ; 28cm/装丁     和装 
注記     印記:水寺蔵書/注記     白井文庫 
個人著者標目     神田/玄泉 ∥カンダ,ゲンセン 
非統制件名     魚介 
発行形態コード     0101: 図書 
物理的属性コード     06: 手稿・文書類 
資料内容種別コード     01: 和古書 
校了日     20010331/最終更新     20040404235959/書誌ID     000007311855 

(2)国立公文書館(内閣文庫:和書)

①日東魚譜
[請求番号] 197-0106 [人名] 著者:神田玄泉 [数量] 5冊 [書誌事項] その他 ,享保21年/公開   
②日東魚譜
[請求番号] 197-0098 [人名] 著者:神田玄泉 [数量] 4帖/1冊 [書誌事項] 写本 [旧蔵者] 内務省/公開   
③日東魚譜
[請求番号] 197-0105 [人名] 著者:神田玄泉 [数量] 4冊 [書誌事項] 写本 [旧蔵者] 太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局/公開

(3)早稲田大学図書館:古典籍総合データーベース

①日東魚譜[書写資料]卷之[1]-7/神田玄泉 [著]:画像あり
出版事項:写, 嘉永7[1854] 
配架場所:中央4F貴重書庫
請求記号:ニ15 00712 1-7
現況:館内利用のみ
形態:7冊;26cm
注記:書名は卷之7の巻頭による/享保4年序の写本/彩色・朱書入あり/欠損あり/和装/印記:佐野氏藏書記,中川氏藏/中川徳基旧蔵
②日東魚譜[書写資料]卷之1-2/神田玄泉 [著]:画像あり
出版事項:写, [書写年不明]
配架場所:中央 4F古書資料庫
請求記号:ニ15 02216  1-2
現況:館内利用のみ
形態:2冊;24cm
注記:卷之2の目録題:魚譜/元文6年序の写本/和装

(4)北海道大学付属図書館http://www.lib.hokudai.ac.jp/

ニットウ ギョフ/日東魚譜 / 神田玄泉撰集
出版者 [出版地不明] : [風民堂]
出版年 享保21序 [1736]
大きさ 5冊 ; 27cm
一般注記 著者「神田玄泉」の読みは確定していません
和装, 袋綴
著者標目 神田, 玄泉 <カンダ, ゲンセン>
件 名 NDLSH:魚 -- 図集
コード類 書誌ID=20839669 NCID=BA47249640
------------------------------------------------------------------
巻 次 所在場所 請求記号 資料番号 状 態 コメント 刷 年
首卷 本館・札幌農学校(貴重資料室) 639/KAN 0010048486/1736
卷之1 本館・札幌農学校(貴重資料室) 639/KAN 0010048497/1736
卷之2 本館・札幌農学校(貴重資料室) 639/KAN 0010048500/1736
卷之3 本館・札幌農学校(貴重資料室) 639/KAN 0010048511/1736
卷之4 本館・札幌農学校(貴重資料室) 639/KAN 0010048522/1736

(5)國學院大學

標目書名: 日東魚譜(にっとうぎょふ), H
記載著者名: 神田玄泉, 著
刊写の別: 写
形態: 2冊,24cm
所蔵者: 国学院大梧陰,  491, K
目録分類: 和書‐自然科学
参照番号: 1593186, 398, 000293001

(6)佐賀県立図書館

標目書名: 日東魚譜(にっとうぎょふ), H
記載著者名: 神田玄泉, 著
刊写の別: 写
形態: 4冊,28cm
注記: 〈般〉享保16。
所蔵者: 佐賀県図鍋島,  鍋991 1345, K
目録分類: 和書(慶応以前)
参照番号: 2383780, 1229, 020094003

(7)甲南女子大学図書館上野益三文庫

書名  日東魚譜(上野益三文庫仮目録仮番号295)/写本/零本三冊/著者編者名  神田玄泉/体裁 袋綴 原表紙 茶色 二四・三×一六・八センチ/匡郭  枠なし/行数 一二行/丁数 五五丁/書外題 手 左肩/序題  日東魚譜/挿絵  有/序(序記)  東魚譜爾 于時 元文六重光作●孟春既望日/東都 隠● 神田一通子玄泉/奥付/刊記/刊年成立年  元文六年

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真名真魚字典に関するタイトルのもくじ

もくじ・目次・MOKUJI―真名真魚字典

  1. MANAしんぶん:真名真魚字典サイト……魚へん漢字の語彙と語源および魚名考証探索メモです。
  2. 謹賀新年2008年子年……MANAの年賀状
  3. ヨメガサラってなあに?ヨメガカサってなあに?
  4. 木簡に記された魚たち……木簡字典はおもしろい
  5. 列島雑魚譚……MANAによるザッコロジー入門雑文集(MANAしんぶん

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謹賀新年 2008年子年

今年も宜しくお願いいたします。

ホームページ「MANAしんぶん」及び、ブログ版[季刊里海]通信と連携しながら、雑魚学:ザッコロジーの好奇心を発揮しつつ小文やゲンナマ史資料を公開していきたいと考えております。ご批判ご叱正を甘んじて受けつつ、できるだけ、どこにものせていないテーマやテキストデータを載せていく所存であります。

昨年後半から最近にかけてMANAが書いたり編集構成した文章は次のとおりです。そのサイトへのリンクやPDFにしておきましたので、関心のあるかたは、チェックやダウンロードしてご覧ください。

(1)昨年10月末に、鎌倉円覚寺系列寺院「白雲庵」開祖である東明慧日とうみんえにち禅師の小伝「東明慧日禅師の大きな足跡」(PDF・見開き17ページ)をまとめました。これまで、ちか寄りがたい世界であった「中世」「鎌倉時代」でしたが、鎌倉幕府執権、北条貞時によって中国から招請された曹洞宗宏智派禅僧、東明慧日(1272~1340)の行跡、思想をまとめた文章です。日本に禅宗の一派であった曹洞宗をはじめてもたらしたのは道元であることは、広く知られていますが、その第二番目に伝えた禅僧・東明慧日について知っている人はほとんどいないでしょう。どのような人物であったのでしょうか。東明慧日が渡来した1300年代にさかのぼって、これまでの研究成果を中心に小伝としてまとめたものです。MANAにとっては、日本の漁業史に新風を吹き込んでくれた網野善彦の文章を何冊も読んできましたが、網野史学の骨格を構成していながら、なかなか理解のできなかった、中世史や近隣国との関係史を理解していくための基礎文献を読みこなしていくよい機会になりました。蒙古襲来や中世民衆の暮らしぶりなどについて、文献〝好奇心〟を持って読みこなせる基礎的な時代背景が醸成できたような気がします。

(2)昨年末に、「海洋基本法ってどんな法律なの?」(PDF:8ページ)を、漁協経営センター刊「月刊 漁業と漁協」2007年11月号にのせました。昨年4月通常国会で成立した「海洋基本法」は、「成立して当たり前」(読売・産経・毎日など各紙)というような、国民にとって必須不可欠な法律なのであろうか、無批判に受容歓迎する風潮への疑問とその問題点を、[ブログ版里海通信]の「海洋基本法を考える」で整理してきました。成立後、半年を経ての法PRや制定を歓迎するシンポジウムを聞いたうえで、ダイジェストにまとめてみたものです。もうすぐ同法に基づく「海洋基本計画」が策定されることになりますので、参考にしていただければと思います。ブログ「海洋基本法を考える:目次」からも入れるようになっています。

(3)季刊里海]通信メモ:「東京湾漁場図」制作者・泉水宗助を探せメモ(2007年3月9日平成18年度第4回東京湾アマモ場・浅海域再生勉強会にあたって)(PDF:3ページ)

(4)MANAインタビュー(「漁協の共済」リレートーク再録)より

○その1(07年2月):〝エコラベル〟をもっと知ろう:話す人:アミタ㈱ 持続可能研究所主任研究員・田村典江さん(PDF:5ページ)

○その2(07年4月):里海は「五大力船ごだいりきぶね」に乗って:話す人:木更津市NPO法人盤州里海の会理事長・金萬智男さん&JF金田地区組合員総代・NPO法人盤州里海の会監事・実形博行さん(PDF5ページ)

○その3(07年6月):もっと地域社会に開いていこう:これからの漁村・漁協がむかうかたちとは?:話す人:北海道大学観光学高等研究センター教授・敷田麻実さん(PDF:4ページ)

○その4(07年8月):漁業現場に活かせる保険医学を求めて:JF共水連嘱託医・産業医、えとう内科クリニック院長・江藤誠司さん

○その5(07年10月):TV番組作りは漁業と同じだ:NHK6月放送「里海の四季」担当ディレクター 宮原秀之氏さん

○その6(07年12月):漁の現場で食育ワークショップ:食環境ジャーナリスト・金丸弘美さん

(5)千魚の眼―魚へん歳時記というエセイを2008年1月から「水産界」という雑誌で書き始めました。「千魚の眼」についてのゴタクは、里海通信「謹賀新年その2」に書いておきました。PDFでも読めるようにしておきました。

○第1回(08年1月):ゴマメ、鱓、小万米(PDF2ページ)

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